2010年2月10日水曜日

何かが生起している場所にきちんと己の身体を運ぶこと(石光泰夫 -『新・知の技法』)


大学というところに4年間勤めてみて、大学をとうに崩壊している「教養主義」の場所ということではむろんなしに(教養とはつねに教養主義の批判だったのだと柄谷行人も書いている)、しかし真の文化・教養・知(智)のトポスとして再生させることに、自分は全力を尽くさなければならないと、いやましに感じるようになっている。これから環境の変化があることもあり、大学教養ということを長年考えて来られた先輩の先生がチーフになっている研究会の冊子のために原稿を4本書いたり、来年度の講義シラバスを書いたりする道すがら、小林康夫先生が主幹となって、そのような大学における教養教育改革を推進した際の生産物である例の「知の3部作」(+新)を、今更ながら改めて買った。といってもまだちゃんと読んではいないのだが、石光泰夫の一言があまりにも身につまされたので、自戒を込めてここに書き抜いておく。

「吉村雄輝や武原はんがたてつづけに物故して、あらためて何かが生起している場所にきちんと己の身体を運ぶことの重要性を思い知らされた。それは、知というものが自分のなかで組織されるための前提条件である。『行けばよいというものではない』は行ってみてはじめて言えることだという背理を、活気のある『知の技法』はつねに生きていなければならない。」

 学生時代からそのことは痛感していたのだが、現場に入りきるのではなく、現場と接点をとりながら知・学問を推進していくというスタンスが、当時の母校の制度の中で結局取れぬまま(それを取ろうと試行錯誤することだけでわたしは人生のうちのかなりの部分を浪費している)、結局文学研究というスタティックな場所に、入り込むことになってしまった。しかし文学とは本来アクチュアルなものである。そういうスタティックな場所から、アクチュアルな何かが生起している場所への接点を、改めて拓こうとしていくこと、それによって活気のある「知の技法」をつねに生きるようにすること。実際的であることを優先して文化教養を潰すこととそれは全く(似て?)非なるものなのであって、そういうダイナミクスが理解できない一方からもう一方への極端な移行は、日本人が得意なことではあるが、そういうことが起こるのも、畢竟「智」が定着していないからである。他ならぬ大学は、そのような活気のある知のトポスとして、再生(ルネッサンス)されていかなければならない。