2009年12月25日金曜日

Merry Christmas 2009★新丸ビル「たる善」



東京駅付近のクリスマス・イルミネーション。
ニューヨークの街並みを再現しようとしたのだという。
かなり年上の、某大企業参与の従兄は、
この街並みを現場で作っていたらしい。
その従兄が、先週の土曜日、小樽寿司通りで
いちばん美味しい鮨屋という評判(従兄いわく)の
「すし善」からのれん分けした、
新丸ビルの「たる善」に連れて行ってくれた。




右の写真は最初に出た、肝につけて食べるかわはぎ。
灰色のはダメなので、ピンク色の肝でないとおいしくないんだとか。
最初のだけは写真を撮ったけど、後は喋るのと食べるのとに夢中で、写真なんか撮っていられず(^_^;)
5年物という巨大な帆立が出てくると、従兄は塩を出してと言う。あ、そうだった、と言いながら、板さんが藻塩を出してくれる。
天ぷらも絶対つゆじゃなくて塩で食べるんだ、と従兄は言い、わたしも頷く。
ちょっと炙ったのがミソ、というキンキも、藻塩をつけて。
いつもはたれで食べている穴子なんかも、塩味がおいしい。
焼いた頭のみそが絶品のぼたん海老は、定番だ。
次から次へと、板さんの今日のおすすめをごちそうになる。

川魚の王、鮭の大助は、毎年決まった日に、妻の小助と一緒に海から川へ遡る。そのとき「鮭の大助、小助、今のぼる」と声をかけるのだそうだ。それを聞いた人間は、3日後に死ぬという。

従兄は今年いっぱいで長年務めた会社を退職するというので、母とわたしを招待してくれた。
話していると、ポジティブで気持ちのいいオーラが、びんびん伝わってきて、
本当にこういう人だからうまくいったのだなあ、と実感した。
自分の言い分は、しっかり通すんだ。そうでなければもっと出世したかも知れないがね、と彼は笑うのだけれど。
enjoy good food and good companyという言葉があるが、まさにそれ。
シャブリを片手に、楽しい話が弾んで尽きない。
彼の放つ「気」も、わたしの精神にはごちそうで、本当に有難かった。

イギリス人はquality timeと言う、こういう時間を脳の中に累積し、そして追憶していくこと。
文学と芸術とおいしい食事、そしてそれらをめぐる時間に交錯する人々。
それがなくては人生を営むに値しないものたちのために、そしてその愉しみをもっと多くの人たちと共有するために。
そのための仕事をすることができるのならば、わたしの人生は本望なのだろう。

2009年12月20日日曜日

ロメオ・カステルッチの神曲・煉獄篇と天国篇

 にしすがも創造舎に着いたら、そこは廃校になった校舎だった。ロメオ・カステルッチの神曲・天国篇のライブ・インスタレーションの会場だ。一度に5人程しか入れないため、当日券狙いだった友人は入れず、わたしもしばらく待たされて、道路の向こうにあるカフェで、きのこのキッシュを食べながら時間を潰す。キッシュというのは生クリームと卵の生地をタルト・ケースの中で焼いて作るのだが、ここのキッシュは中身がホワイトソースで、グラタンみたいになっていて驚いた。抹茶のマフィンを頼んだ友人が、「大変なものを頼んじゃったわ!」と大騒ぎをするので覗いてみると、マフィンの中に何と「あんこ」が入っている。キッシュを開けてみたらグラタンというのも凄いが、確かにあんこの入ったマフィンというのも、始めてである。カフェ・ブームのときによくあった、オーナーの趣味に彩られた、アマチュア・チックな内装の店だ。お姉さんが毎日その日の気分で、即興でちょっと変わった食べ物を作って出しているらしい。ケーキの中にコインが入っていると何か罰ゲームをしなければならない、というのがあるけれど、確かに今日はどんな爆弾が仕込んであるんだろう、と思いながらここの食べ物を開けてみる、というのは、なかなかスリリングかも知れない。

415分の整理券というのをもらって、時間通りに行ったのだが、結局5時くらいにならないと、展示に入れなかった。1人出ると1人入れるというシステムになっているので、当事者側の計算よりも長い間、入った人はそこに留まっていたかったのだ、ということになる。待っている間、わたしの後ろに並んでいた女の人と、何となく話を始めると、何と彼女は地獄篇に出ていたのだと言う。Hey Girl!を観てカステルッチのファンになり、観るだけではなくどうしてもあっち側に行かなければと思って、エキストラに出させてもらったらしい。ちなみにこの芝居(というかイメージ・パフォーマンス)には、カステルッチ本人とウォーホル以外にキャラクターはいないので、エキストラというのは端役という意味ではない。カステルッチは日本が好きで、だから日本公演を最後に持ってきたのだと、彼女が教えてくれる。日本人はちゃんと規則を守って、間をきっちりと取り、その通りに演技をするからなのだそうだ。ヨーロッパのエキストラたちは、髪の毛がひっぱられると本番中なのに「イタ!(Ouch!)」と言ったり、適当に立ち位置をアドリブしてみたりと、勝手に行動するので、イメージ通りになかなかいかないのだという。ウォーホル的な匿名の個人たちを表現するのに、顔の見えない人種として国際的に有名な、日本人がもっとも適切であるというのは、頷ける話である。今日の公演は舞台劇なのだと思っていたけれど、結局台詞はあんまりなくて、最後の方のイメージの方がやっぱり強烈でしたよね、とわたしが言うと、彼女はカステルッチの「音」を絶賛していた。京都芸術劇場の、『ガリバー&スウィフト―作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法―』というのにも今度出ます、と彼女が言うので、名刺を頂き、チケットを頼むことに。


そうこうしているうちに中に入ると、黒塗りのボックスになっている空間の中心部分が、白く塗ってある。一瞬ぽかんとしていると、奥の方に置いてある1m立方くらいのライトの方から人がぞろぞろ出てくるので、あ、ここに入るのか、と解る。ライトは天国への導きの光だったのである。「天国」の中は、やはり黒塗りで、前方では水がびしゃびしゃと流れ落ちている。恐る恐るどんどん歩いて行ったら、効果だけではなく本当に水に濡れるので、それより前に進むことはできない。じめじめした黒塗りの空間なのに、神社仏閣にいるような感覚に襲われる。水の流れ滴る上方では、骨ばった裸体が、地獄で蜘蛛の糸を探ってでもいるような、喘ぎ苦しむようなパフォーマンスを、ひたすらに続けている。一代で会社を立ち上げて成長させたある身近なやり手の経営者が、上へ上へと登りつづけて、登った先には何もなかった、と言っていたのだが、それもこういうイメージなんだろう。地獄を経めぐり、煉獄で浄罪される、その旅の過程こそが重要なのであって、着いてしまったと思ったときにそこに開けている世界は、空虚である。ユートピアが、どこにもない場所である所以だ。フーコーは、アトピアという言葉を使っている。それでまた、ドゥルーズと伊丹十三が2人とも自宅のアパルトマン/マンションから投身自殺したイメージが、このパフォーマーに重なって視えた。あの2人はダンテ同様、しかしおそらくダンテのように究極の目的地を信じないまま、地獄と煉獄の旅に出たのではなかろうかと。

煉獄篇では、恒常的に自分に暴力を振われながら、その父の罪を赦す息子が成長して、煉獄をのたうちまわる姿に、観ている者も同化して、浄罪のイメジャリーの世界をともに経巡っているような感覚になる。観客もこうして、天国篇へ準備の階段を上っていくのである。三軒茶屋から西巣鴨に場所を変えて、天国に入ってみる。しばらく茫然とそこに立ち尽くした後、我に返って外に出ると、ここのところ家族にも友人にもその薄さと暖かさを絶賛していたヒートテックを着ているのに、急に怖気がしてきて、外気がいやに冷たい。『神曲』を視覚化した芸術家はたくさんいるけれど、彼らの描くイメージは、結局地獄篇が一番選れていることが多い。カステルッチ版も、おそらくそうだろう。天国篇の空間を出たわたしは、あの3匹の犬がカステルッチを襲い、ウォーホルの作品名とともに人々が磔刑の姿で落ちてゆく、地獄篇のイメジャリーの中に、帰りたくなった。

2009年12月16日水曜日

映画『ドレッサー』(1983)


 喜劇の題名は一般的名前であり、悲劇の題名は特定の個人の名前であると言ったのは、ベルクソンである。喜劇の題名は例えば『人間嫌い』であり、決して『ハムレット』や『リア王』や『マクベス』にはなり得ない。それは悲劇の主人公が強烈な個性であるのに対し、喜劇の主人公は類型だからである。

 それでは『ドレッサー』は、どちらになるのだろう。これはアルバート・フィニー演ずるシェイクスピア劇団の団長であり主演俳優が、『リア王』の公演をする前後の物語だ。彼は「サー(Sir)」としか呼ばれず、固有名がない。サーは日本でいえば勝新太郎か三船敏郎かという「個性」であるけれども、それはシェイクスピア劇団の団長であり主演俳優だったらとりあえずこういう性格だろう、という「類型」でもあるからだ。戦時下のイギリス。劇場は次々に爆破され、若い役者はみな徴兵に取られてしまい、舞台化粧に使うコーンスターチの確保も儘ならない。厳しい戦時下であれば人間の魂にとってますます必要でありながら、当然のごとく芸術は抑圧されている戦時下の時代状況が、時代の推移を体現している上2人の娘の裏切りにあって没落してゆくリア王の状況と、重ね合わされている。映画の前半で舞台を席巻しているのは、こうした状況で錯乱状態にある、老齢のサーであると言っていい。

 サーのドレッサー(衣装係)であり、楽屋でサーを風呂に入れ、下着を洗濯し、錯乱して台詞を混同するサーにどの芝居か思い出させてやり、と何から何まで細々と面倒を見ているおカマ言葉のノーマン(トム・コートニイ)は、さしずめリア王の道化である。そういえばリア王の道化は、「道化」であって名前がない。舞台の原作を書き、映画化に際しても自ら脚本を担当したロナルド・ハーウッドが、サーをサーとしか呼んでいないのは、このことを現代に反転させた、達意の仕掛けのように思える。あくまでも主役はドレッサーなのだが、ドレッサーにドレッサーというアイデンティティが生じるのは、あくまでもサーがいるからだ。サーがいなければ、ドレッサーという主体が存在できないのは、リア王と道化の関係と同じである。芝居の最初では舞台に出ることすら危ぶまれたサーは、無事に一世一代の名演をし、若い女優をコーデリアに見立てて両腕で抱きかかえた後、呆気なく息を引き取る。最期は思いのほか静かだった。サーが亡くなると、確かに(映画の)舞台は、急にひっそりしてしまう。最期に遺言のように、観客はさることながら、小道具係、照明係にまで感謝の意を表したサーは、ドレッサーには一言の挨拶もなかった。ノーマンはそのことに憤慨しつつ、これから自分がどうして生きていけばいいのか途方に暮れる。芝居=映画はこうして、何だか尻すぼみに終わる。

 『ドレッサー』はあたかも、サーという中心を喪ってもまだ生き続けなければならないノーマンの、日常性の悲劇がこれから始まるというところで、終わっているかのようである。悲劇では主人公が死ぬところが最大のクライマックスであるのだが、この劇=映画ではそこからエンドレスなアンチ・クライマックスが始まるのだ。ヤン・コットが『リア王』をベケットの『勝負の終わり』に準えられたのは有名な話だが、『ドレッサー』はそのような現代における悲/喜劇の性質を、絶妙に捉えている。「ドレッサー」という題名の意味は、そこにある。

ちなみに、アメリカのアマゾンでUS版のDVDを買ったら、日本語字幕がついていました(・。・)

2009年12月15日火曜日

アバクロとトマトのパルフェ♪

新橋で降りて、銀座方面にふらふら歩いていたら、日本に出店していなかったことで有名なアバクロがあって、驚く。
アジア1号店なんだそう。
NYに行くとつい寄ってしまうアバクロだが、これからは銀座で買えるのね(・。・)

今日の11時にオープンだそうで、わたしが行った土曜には、
「ストア・モデル」のお兄さんたちが店の前に並んで、
人間ディスプレイをやっていた。
なかなか壮観。















ランチは銀座kanseiで。
前菜のトマトのパルフェ♪
トマトのソルベにキャビアがよく合って、美味しいです(^。^)







メインは黒毛和牛のローストビーフ。
柔らかい~♪














お芝居の後は、タイレストランMEKONGへ。
どれがおいしいですか?と聞くと、タイ人のお姉さんが全部答えてくれて、ほぼその通りに注文。
















いちばんおいしかったのは、渡り蟹と卵のカレーソースでした(*^_^*)






2009年12月14日月曜日

ロメオ・カステルッチの『神曲・地獄篇』


 ウォーを集中的に読んでいて、「結局、これって『神曲』なんじゃないの?」と思っていたら、偶々ロメオ・カステルッチの3部作舞台が東京にやってくるというので、観に行くことに。この週末は、「地獄篇」のヴィジュアル・シアター。ポスト・パフォーマンス・トークがあるというので、土曜日の夜のチケットを買っておいたのだが、ちょっとした事情で遅れてしまい、日曜にももう一度観た。舞台はもちろんだけれど、カステルッチと飴屋法水との、このトークがまた凄い。

 通訳を通しているという物理的状況も、もちろん関係しているが、このトーク、まったく対談になっていない。あたかもお互いに向かい合うことなく、その間が、カステルッチ氏の舞台という鏡に仕切られている、というような構造で、2人は喋り続けていた。飴谷氏が、カステルッチ氏の舞台という鏡に反射された自分の話をして、その鏡の裏にいるカステルッチ氏は飴谷氏の言葉を聞き、またぼつぼつと自分の話をする、という感じ。
 
 最初から、2人の現実と虚構との捉え方が、微妙に違っているのだが、もちろん彼らはそれについて弁証法的な議論をする気などさらさらなくて、お互いが自分の意見を、並行して言っている。2人の違いは簡単に言えば、カステルッチ氏が虚構というものを現実のつっかえ棒のように恃んでいるのに対し、飴谷氏はその違いはない、と主張しているところだ。観客と舞台上の人との違いが分らない、虚構と現実との区別も分らない。というのも虚構じゃない現実はないからで、みんなが視ている以上現実でない虚構はないし、存在そのものが虚構であるような現実しか生きられない、というのが飴谷氏の立場。カステルッチ氏は、演劇は虚構であり、現実を超えるマジックを持っている。芸術を観ているときは丸裸のような感覚である。虚構であるけれども真実を明らかにする、「剥ぐ」。演劇は言葉では表現できないものを表現する。肉体と時間の経過の感覚が、実生活に一番近いアートであり、第2の人生のようなものだ。飴谷氏にとって舞台は、現実のヴァリエーションに過ぎない。カステルッチ氏が、現実からの救援所としての演劇というものを信じていて、その救けによって現実を忍従するというキリスト教的な世界観を持っているとすれば、飴谷氏は、万事境界が曖昧な日本人的に、そういう価値判断そのものを、根源的かつ楽天的に宙吊りにしている、ということのようである。 ベケットは、「ダンテの浄界は円錐形をなし、したがって最高地点を内包する。ジョイス氏の浄罪は球形をなし、最高地点を含まない。前者には、ほんものの徒食(浄罪界前域)から理想的徒食(地上の楽園)への上昇があり、後者は上昇もなく理想的徒食もない」、と書いているが、飴谷氏の感性は、もしかすると、ダンテというよりはジョイスに近いところがあるのかも知れない。
 
 彼らは2人とも、動物好きである。飴谷氏は以前、梟と一緒に住んでいた。梟は人間に似ている。門禽類(実際の分類は違うようだが、彼はそう言っていた)の中で身体能力が低い。鷹とか鷲とかに比べて。だから用心深くなる。カラスなどと比べたらダメだが、でも頭はいい。身体能力以外のところを発達させて生き延びているところと、眼が前に向いているところが、人間に似ている。自分は女性のパートナーと同居しているが、子供はいらないと思っていたので、梟と一緒に住んでいた。山で放し飼いのようにして飼っていたが、ある時野生の門禽類に食べられてしまって、失敗した。今は子供がいる。他方、農業学校で農業を学んでいたカステルッチ氏は、農業をやっていても動物と一緒にいられる訳ではないと分って道を変えた、動物は人生にとって不可欠なものであり、動物のいない人生なんて考えられない、と言う。ここでも飴谷氏は、淡々と動物との共生について語っているだけなのに対し、カステルッチ氏は、イタリア語で動物はアニマーレというが、それはアニマ(魂)を持っているものという意味である、人物に足りない生命を担っている、三匹の犬は私の魂を担っていると言う。人間ではない部分が本質である、と言い、動物の魂に救済の可能性を求めているかのようである。動物にベアトリーチェをみているということなのだろうが、アニマを持った3匹の犬というのは、ちょっと多神教的な感じもする。

 このように、ダンテ譲りに本質とか、救済とかいったものを信じており、演劇をそのための媒体と捉えているカステルッチ氏は、ダンテにおけるヴェルギリウス、つまり水先案内人として、アンディ・ウォーホルを登場させる。東京で一番美しいものはマクドナルド。ストックホルムで一番美しいものはマクドナルド。フィレンツェで一番美しいものはマクドナルド。北京とモスクワにはまだ美しいものがない、と言ったウォーホル。マクドナルドは、退屈で取るに足らない人間の反復としての社会という地獄を、端的に象徴している存在だ。グローバライゼーションという名のアメリカナイゼーションは、今や北京とモスクワにすら、その美しいマクドナルドを繁栄させている。ウォーホルの作品の名前を一つ一つ字幕に照らしながら、取り換え可能なエキストラたち、匿名の人間たちが、同じ磔刑の格好で、次々と舞台の向こう側へと堕ちていったのは、その退屈さゆえに、現実の地獄篇を射抜く、じつに鮮烈なイメージだった。カステルッチ氏の舞台だから当然とはいえ、確かに彼の言っていたことの方が、ここでは当てはまっているかも知れない。ウォーホルのイメージは、演劇的表現を与えられた現実であり、現実の本質的な様相を浮き彫りにしている。舞台がまず、観客を映し出す、前面が鏡である立方体の提示に始まり、途中ウォーホルが何度も観客にカメラを向けていたことに示されているように、それは現実の鏡である。しかし、現実を照射するその眩さによって、それは劇場をまた足を向けたい空間にする。闇の中では、黒と発光している白は同じである。ダンテ自身も、完全な黒と完全な白は入れ替わると言っている。神の光を目にした人間は暗闇に陥るし、完全な闇に対すると内にある光を求めるようになる。天国と地獄は、反転現象だ。地獄を表象した演劇空間は、まさにそういうものとして、天国だった。

 演劇について考えることは、現実を生きていく救けになる、とカステルッチ氏は言ったが、こんな風に語られた現実を視た後でそうである現実に戻らなければならないのは、それにしてもますますツラいことである。

2009年11月22日日曜日

グレアム・グリーン「庭の下」(『現実的感覚』所収)




学生の頃は翻訳で読んだきりで、特に集中して勉強したことのなかったイーヴリン・ウォー。20世紀イギリスのコメディという文脈であれば避けて通ることはできないだろうと、春休みの後半からずっと考えていたウォーのコメディ論、「自我の消尽としてのコメディと『偽の死』」を、昨日ようやく、一通り仕上げることができた。じつは、モンティ・パイソン論を書いていて、彼らの親の世代というのが妙に気になって、読み始めたのだった。途中、自我の消尽したアンチ・ヒーローの祖先として、フローベールを読みなおしたり(本当は一番好きな作家(^_^;))、ウォーの親友のナンシー・ミットフォードにはまったり、講義の準備でシェイクスピアを勉強して発表もしたり、はたまた父親が亡くなったり、スポーツクラブのプログラムをやったり、当然のごとく盛り沢山の半年ではあったけれど、その間研究の中心でわたしを苛めていたのはウォーだったので、とりあえず纏められて安心した。これで他のことができるというもの(笑)。


 畏れ多くも尊敬している小池滋先生がウォー論に、「自分の人間としての本質というか、個人としての存在のしるしとでもいうもの(one’s own identity)を放棄して、(真の意味での)自由な決断・選択から逃避することに、自由と喜びを見出すのは、多かれ少なかれ現代人のおち込んだすがたであることは、すでに多くの人々(例えばエーリッヒ・フロム)から指摘され、多くの作家(例えばグレアム・グリーンやナイジェル・デニス)が好んでとり上げた題材である。現代において、新しいピカレスク小説が特別な意味をもつのは、こうした情況からであるし、ウォーの『衰亡記』が、そうした一連の作品のもっとも早い、注目すべき例証となっていることは間違いない」、と書いている。わたしは、ウォーの主人公がそのような「現代人のおち込んだすがた」であると書かれていることについての反証を試みたのだけれど、ではグリーンの場合はどうだったのかと思い、小池氏がその例として註に引いている「庭の下」を読んでみた。おそらく肺癌である主人公のワイルディッチは、病院で検査を受けている。「病院へ行った時と軍隊にはいった時とは非常によく似ていて、どちらも同じく、一種のくつろぎと無頓着の気分になるものである。うむを言わさずベルトコンベアに乗せられたようなもの、したがってもはや何物にたいしても責任を感じなくなってしまうのだ。…ワイルディッチは、ある大きな組織が今や自分をすっぽりとつつんで保護してくれているような気持になった。戦争が終わってからこのかた、彼はこれほどの自由を味わったことは一度もなかった」。検査は終わり、病院を出るワイルディッチは、「せっかく乗ったベルトコンベアからあまりにもあっけなくほうり出され、たえず選択の伴うわずらわしい世界にふたたびもどる破目になって、…がっかりした」。これが「(真の意味での)自由な決断・選択からの逃避」であるかというと、やはり微妙である。もちろんウォーもグリーンも小説家なのであるから、フロムが喝破しているような、そこらにいる無責任な大衆とは違う。彼らがこのような無責任な素振りを見せるときには、何らかの自意識の裏付けがあるはずである。ワイルディッチは、家から逃げるように世界中を旅行しつづける人生を送っていた。そしてそれは、想像力の領域に入るものは何でも忌み嫌った母親から逃げていた、ということのようである。彼の仕事も、彼の想像力の翼をもぐような、会社や役所に事実を提供するものであり、母親の支配力だけでなく社会そのものからの圧迫にも、ワイルディッチは終生抑圧され続けてきたのだった。


 そんな彼が、余命幾許もない宣告を受けて、家に戻って子供時代の自分の幻想を物語に書き始める。彼は庭の下に住み、ジャヴィットという自由な発想を奨励しつつ奇妙にマナーにうるさかったりもする男が滔々と喋るのをずっと聞いているが、それは彼が後に聞いた何よりも勉強になる事柄だった、とワイルディッチは思っている。夢の中だから、宝物もざくざくと豊富である。「夢の中には、ガラスでつくったダイヤモンドなどはない。そう見えるなら、もはやそれそのものなのだ」。


 ワイルディッチはやがて、そこから出て行ってしまったジャヴィットの娘のマリアを探しに行くという名目で、庭の下から地上に出る。彼は、もしも自分が、トンネルやひげの老人や地中の宝などといった夢を見ないでいたら、せめてもう少し落ち着いた生活が出来たのではなかろうか、と自分の人生を回顧する。いや、しかし。「せめて彼が誇りとするのは、これまでさまざまな仕事をやってきたが、そのどれにも自分を縛りつけようとしなかったことだった」。世界中を旅行しているというのだから、確かにピカレスクであって、一所に留まる閉塞的なアイデンティティは、ワイルディッチが嫌ったものだ。しかし彼は、「真の自由」から逃避し続けたのだろうか?それはやっぱり違う。どれかの仕事や家庭生活といったものに自分を縛りつけるというのも、その人間が意識して選択しているのなら、そこにしか彼の自由はない。ワイルディッチはそうでない、彼なりの別の自由を選んだというのに過ぎない。どの仕事にも縛りつけられないようにするというのもまた、そういう強い自意識から選択したというのであれば、人生の大変な責任を負っているということになる。


 ワイルディッチは、病院のベルトコンベアのような自動的な生活に暫しの間放り込まれて、安堵の念を覚える。そのような社会を綱渡りしていく緊張を、そこで緩ませることができるからである。それは彼が社会で闘っていたことを示すので、病院に長い間縛りつけられていたら、彼はそれを良しとはしないだろう。しかしここにはまた、死ぬ間際の彼が回顧するように、自分の想像力の翼がもぎとられて一生を送ったという、歴史の抑圧が見て取れる。「庭の下」とは、そのような抑圧的な日常に対するオルタナティブな世界でありながら、それが庭の下、つまりあたかも日常性によって抑圧されている地下にあるところに、ワイルディッチが遁れても遁れても遁れられないでいる束縛的感覚が、伝わってくる。つまり彼は、そうした諦観から、軍隊や病院といった自動的な生活における規律を、むしろ歓迎しているのかも知れない。自分の想像力による選択が、社会で実現するということがないのであれば、そのような無窮動な生の方が、彼の人生の諦観のフォームを、正しくなぞっているということにもなる。正しくといっても限りなく擬似的に、という点が、重要なのだけれど。


 ある精神科医が大学に職を得て、こういう時間や事務仕事に区切られた生活が、わたしはとても好きなのだ、と言っていたのを、急に思い出す。彼女は、ワイルディッチが病院のベルトコンベアに安堵するというのと、同じことを言っているのだろう。とすると大学というのは、病院や軍隊に相似した施設ということなのだろうか。そこで想像力をのびのびと飛翔させるほどの力量は、現実の大学にはないけれども、大学はやはり、文芸は抑圧されて小さくなりながら、こそこそとではあっても、想像力の自由について論じることがまだ許されている聖域ではある。そのような聖域を破壊するような圧力は強まっているし、これを踏みつけにしようという輩はそこら中にいるけれど、程よいベルトコンベア性の中で、庭の下の世界を保存するには、とりあえずこれ以上の世界はないのかも知れない。

2009年11月6日金曜日

オリーブ・バールのアリス


大学祭は4日までだったので、5日は授業があると思い、鶴橋へ。
東京から出てきたばかりのときは近鉄線の長い電車間隔に驚愕したが、ここのところその間を利用して構内のドトールで朝食を食べるのが、授業のある日の日課になっている。コーヒーをゆっくり飲むほどの時間はないので、彩り野菜のカルツォーネだけ食べて、電車の中でテイクアウトのソイラテを啜っていると、周りがいつもより落ち着いたおじさんたちである。先生かな、と呑気に考えていると、急に、おじさんが乗っているのはともかく、学生がいない、という異常事態の意味に気づく。

も、もしかして今日って、休み?

慌ててLet's Noteを出し、大学のホームページから学年暦を検索。
11月5日 創立記念日。
うわ、そうだったのか。そう言えば、例年、学祭のときって、1週間以上くらい休みのはずなのに、、
と思ってはいたのだった。
しかし、今日は2時から元町のCHESTに髪を切りに行く予約を入れたので、家には帰れない。
どうしよう、と思いながら、とりあえず駅で降りて歩いていると、美容院の予約の時間を
早めてもらう、という案が浮かび、神戸方向へ引き返した。予約は1時になった。
変更の電話を入れてから、そうだ、映画館に行けばよかったのだ、こういうアクシデントが
あったときにふらっと入ると、結構いい映画をやっていて得をするのに、と後悔したが、すでに遅し。
1時間半強の時間を、どこかで潰さなければならなくなった。
とりあえず元町で降り、ランチすることにして、ウロウロ。
有元葉子プロデュースの、オリーブ・バールというレストランがあったので、入ってみることにした。
料理研究家の有元さんは結構ファンで、本も何冊か持っている。ラ・バーゼの調理器具も使っている
から、レストランでも「あ、これ持ってる」、というのが、使われていたり売られていたり。

オーダーしたのは、1日20限定のフォーシーズンランチ、秋バージョン。
メニューは、


バニラ風味の南瓜プリンと秋野菜のマリネ
コンソメジュレ添え
ほんのり唐辛子を効かせた自家製タリアッテレ
じっくり炒めた飴色玉葱ソース
栗のペーストを詰めた淡路地鶏のロースト
白トリュフ風味
秋野菜のジェラート
バゲット 紅茶

イギリスの有名シェフに、料理でいちばんおいしいのは前菜だから、前菜だけのレストランを開いた、という人がいたけれど、わたしも同じ意見で、今回もそうだった。
南瓜のプリン+野菜のマリネ+コンソメジュレという組み合わせは絶妙。おいし~♪
(前菜の写真は撮り忘れたので、写真はメインの地鶏のロースト。上方にあるのはお店のサイトより、コース全部の写真)

待っている間読んでいたのは、柳瀬尚紀訳の『不思議のアリス』。
今更なのだが、また読み返す必要を感じたのだ。
この本、徹頭徹尾、幸せになるために書かれている。
トランプの国の女王様は、二言目には「処刑せい!」と言う。
それなのに「おかしいやな!」と笑っているグリフォンは、
「ぜんぶ空想しているだけなんだ、誰も処刑されたりはしないのさ」
とアリスに言う。それから胸が張り裂けんばかりに溜息をついている
海亀フーを見てまた、グリフォンはアリスに繰り返す。
「ぜんぶ空想しているだけなんだ。なにも悲しいことなんかありはしないよ」

朝は『荘子』の斉物論編を拾い読みしていたのだが、それとも通じる世界が
ここにある。「…みせかけの対立を、天倪によって和合させ、自由無碍の境地
のうちに包含することこそ、真に永遠に生きる道なのである。
こうして、歳月を忘れ、是非の対立を忘れ、無限の世界に自在にふるまうことが
できる。これゆえにこそ、いっさいを限界のない世界――対立のない境地におくのである」。
ドードーの説明するコーカス競争は、直線ではなく円の競走路で行われる。
全員は、同じ位置ではなく、コースのあっちこっちにスタンバイする。
「よーい、どん!」の合図はなくて、みなが好きなときに走り出し、好きなときに
やめる。もちろん誰が一等なのかはわからないから、みんなが一等だ。
議論の対立というのは、結局気まぐれな主観から生じたものである。
何が是で何が非だという区別がないのであれば、誰が一等だということもない。
人生の苦難も、結局変わった夢を見ていたに過ぎないということになる。

しかし、同じ夢を見るのなら、ほんわかと愉しい夢をみて、happyになりたいもの。
外食ついでに夕食は近所のバリレストランにふらふらと入ってしまい、ヒアルロン酸
ジェリーのかかった海鮮サラダを食べた。何だかジェリーづいている。
クラゲと茸の付き出しも、なかなかおいしい。
ゆっくりお風呂に浸かりながら、アリスを読み終えた。

2009年9月8日火曜日

人文主義の暗黒時代を嗤い飛ばす ~高橋康也『道化の文学』

(「異文化理解教育 第2号」のために書いたブック・レヴュー)

 「笑い」に纏わる概念を色々と検証していると、それらが様々な時代背景に根差していることに気づく。すなわち、ルネサンス時代は「道化」、18世紀は「諷刺」、19世紀は「ノンセンス」、20世紀は「アブサード(不条理)」だ。厳格な中世の世界システムの下部構造に存在する、じつにのびやかな「自然(フィシス)」の呵呵大笑たる民衆の「祝祭(カーニヴァル)」の笑いを、言語化するという自意識が開花したのは、ルネサンス時代のことである。これら喜劇の様相の変化は、時代において「自然(フィシス)」という言葉の持つ意味作用の変質と、軌を一にしているが、「道化」は近代の曙でありながらまだ中世の尻尾を引き摺っている、ルネサンス時代の寵児である。

バカをやりながらさりげなくご主人様の硬直を笑いの中に指摘するのが、「道化」である。では彼は「賢」なのか「愚」なのか、「狂気」なのか「正気」なのか、悪徳なのか美徳なのか。「道化」の任務は、まさにそのような二者択一的設問の根拠となる枠組をとっぱらうことである、と高橋は言う。「愚者・阿呆・白痴・狂人・職業的道化――これらの意味を未分化のまま孕んだ複合体(コンプレックス)として、「道化」は理解されなくてはならない。その未分化の多義性の中にこそ、本書の主題たるルネサンス文学の「道化」の栄光の秘密があるのではないか。逆にいえば、十七世紀半ば以降、多義性が合理的に整序されたとき、「道化」の栄光は終焉するのではあるまいか…。」

ここでは「道化」の系譜のギリギリ最後の例をあげよう。シェイクスピアの円熟喜劇時代の最後を飾る『十二夜』には、フェステという道化が登場する(彼以降の「道化」はかなり変質した形をとる)。この芝居における彼の最大の標的マルヴォリオは、「こわばり」の極地のマジメ人間で、あらゆる遊び・笑い・ふざけに対して深い敵意を抱き、主人の客の貴族サー・トビーやサー・アンドルーたちの浮かれ騒いだ快楽主義を禁圧しようとする。しかもマルヴォリオは、そのピューリタン的禁欲の外見のかげに、主人オリヴィアへの淫らな欲望を隠している。フェステたちは、マルヴォリオの偽善を暴くべく、悪戯の手紙で嵌めてオリヴィアが彼を恋慕っている、と思い込ませ、それを知らないオリヴィアに対して奇怪な言動を取らせた上で、「狂人」として牢屋に入れてしまう。袋叩きにあわされたマルヴォリオは、「お前たちみんなにいつか仕返しをしてやるぞ」と叫んで退場する。

道化たるフェステは、当時台頭しつつあった反祝祭のピューリタン的タイプのマルヴォリオの「こわばり」を笑いの矢で攻撃するのだが、すでにシェイクスピアはピューリタン革命による祝祭勢力/演劇の粛清を見透かしており、『十二夜』はむしろ喜劇的多義性への挽歌と読める。中世と近代との転換期に生きる道化は、時代の変遷と不可避に進行する認識構造の変化の只中で、古い意味と新しい意味の間のガラスを自在に通過して生き延びる。だが時代が一義的な合理主義的近代へと突入するにつれ、「賢」と「愚」とを併せ呑む多義的存在としての道化は、消滅してゆくのである。

道化は中心に対して対位法的視点を提供し、中心を相対化する働きをもつが、それは逆にいえば中心の存在を前提としている。現代は境界例の時代であって、もはや確固たる中心などどこにも存在しない。人々は究極まで煮詰まった拝金主義によって、空虚な中心を埋めているが、日々生起している有象無象の現象は、その歪みを我々に暴きたてつづける。そのような世の中にあってなお益々功利主義を強め、祝祭的・人文主義的勢力を殺ぎ落とそうとしている一体のマルヴォリオたる現代日本に必要なのは、フェステの哄笑なのではないだろうか。では現代における変質した形での「道化」とは、どのような形をとって現れ得るのか。

 そんなことを考えながら、わたしは人文主義の暗黒時代に、コメディ研究をつづけている。

2009年8月1日土曜日

S川先生追い出しコンパ


昨日は、8月下旬からアメリカに在外研修に行かれる、S川先生の追いコンでした。
右は先生inハーレム(?)のガールズ・オンリーの写真。
両手に花(^_-)-☆でうれしそうな、S川先生です。

他の先生たちも、日頃宴会係といわれているS川先生と仲良しのノリのいい人たちで、めちゃめちゃ盛り上がりました(*^^)v
Y田K治先生、幹事とぶっちゃけネタの連発、お疲れさまでした~。

今の大学にきてから、S川先生はいろいろとわたしのことを気にかけてくださり、本当にお世話になっています(感謝)。
酔って電柱に頭をぶつけたりする天然なオジサンかと思えば、すごく几帳面でマメで正義漢だし、よく気がついて、ささっといろいろなことをやって下さるのです。連れて行ってくれるお店にはいつもこだわりがあって、さすが。
S川先生はムードメーカーなので、いなくなると雰囲気かわっちゃいそうでほんと寂しいです。
ここに映っている人たち(+来られなかった人たち)で
1年間がんばらないとです。

わたしは新幹線通勤で、終電逃したら大変なので、S川先生が地下鉄に乗るところまで送ってくださったのですが、考えてみたら3次会行くんだったんですよね?
携帯で連絡ついて、行ってるといいんですが、、(心配)

というわけで昨日も、気がついたらお世話になってました(・。・)
酒と女は現地調達や、と豪語されてましたが(^_^;)
アメリカで1年間、のびのーびと羽を伸ばして、目いっぱいenjoyしてきてくださいませ!
You really deserve that!
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2009年7月27日月曜日

千の風になって

先々週の金曜、容態が急激に悪化した父の見舞で実家に戻ったら、見舞どころか彼岸への見送りになってしまった。元々肺が悪かったのが、癌の放射線治療の副作用で、間質性肺炎急性増悪という病気になり、文字通り急に増悪したと思ったら、日曜の朝にはもういなくなってしまったのだった。何だか実感が湧かなくて、と母は言ったが、わたしもまったく同じ気持ちである。わたしは大学院を1つ出るまではずっと実家に住んでいたが、その後はイギリスへ行ったり関西に行ったりなので、パパも同じようにどこかへ行ったと思えばいいのよ、と言うと、母も納得していたようだった。もうこっちへは帰って来ないけど。

通夜の前の晩、葬儀を取り仕切ってくれた叔父が、酔って家系図を書きはじめた。父もなかなか大変な人だったのだが、それは亡くなるまでうちに同居していた、祖父の血筋であるらしい。祖父の父はチャキチャキの江戸っ子の神田の鮨職人だったそうで、それでおじいちゃんは浅草が好きだったのね、と母が言う。祖父は電電公社の技師で、父とその姉は神戸生まれ、その下は朝鮮生まれなのだが、北海道にもいたことがあるらしい。それから満州鉄道の仕事でハルピンへ行ってそこで終戦を迎え、末娘は日本に帰る途中で亡くなった。アメ車の輸入会社を設立した祖父の兄が居を構えていた近所に越して、以来実家はずっとそこにある。途中のいつだか知らないけれど、祖父は彫刻の修行もしていた。わたしの知っている晩年の祖父の後姿は、象牙の彫刻家のものだった。

父は銀行員を脱サラして、スポーツ用品店を立ち上げた。わたしはいつも、夜遅くまでやっている店でうろちょろしながら、店員のお兄ちゃんやお姉ちゃんに一緒に遊んでもらっていた。週末はリトルリーグの監督で出ている父は家にはほとんどいなくて、家族水入らずなんてこともなく、正月は小さいわたしも、一緒にスキークラブのツアーに行った。子供のころスキーを教わったクラブのコーチたちが葬儀に来てくださり、「ちーちゃん?」と挨拶されて、懐かしかった。父は順風満帆の高度成長期の大波に乗るようにしてアメリカへ視察に行き、そこで得たアイディアを元にしてリトルリーグのシューズを特注して、それを目玉商品とする商事会社を作った。シューズは結構人気だったらしいのだが、安い金属バットを大量に仕入れたらすぐに金属バットが公式の試合で禁止になり、商事会社はそのうちに閉めた。区議会議員立候補の話がきたときには、家族で懇願してようやくやめさせた。その代わりに何かしたくてしょうがなかったらしく、人が集まってくるのが好きだった父は、ついにレストランまで始めてしまい、堅実な母は悲鳴を上げていた。以前マイケル・ジャクソンとボトムの話を書いたけれど、こう書くと、エネルギーが有り余っていろいろとせずにはいられないのは、父も同様だったようだ。

父は新しいPCを昨年の暮れごろかに買ったばかりで、長年使っていた古いWindows98がまだ残っていて、それを処分するためわたしは古いデータの整理をした。ハルピン会、日大二高、銀行の同窓会等々では軒並み幹事役を務め、ゴルフ会、うたごえの会からアコーディオンを持っての老人ホームのボランティアまで、晩年になってもあちこち人の世話ばかりしていた人で、ファイルの整理をしているとその活動の様子が脳裏に浮かんだ。終わったばかりの記念すべきゴルフ会の第100回コンペには、病魔に犯されて出席することができず、すでに意識の薄くなった父に、叔父がその写真を見せていた。そのときは、なぜ父の写っていない写真を見せるのか不思議だったが、それは父が楽しみにしていた100回記念の報告だったのだ。自ら波乱万丈の人生と題した、ハルピン会の文集の原稿もあった。出方はかなり違っているけれど、やはり自分はこの血統を継いでいるのだな、としみじみ感じた。

歌詞を自らタイプして印刷製本したうたごえの会の本の表紙には、おもちゃのアコーディオンを持った木の人形の写真をカラー印刷したものが、無造作に貼ってある。病室で父が、俺の葬式には静かな小学唱歌をかけてくれ、浜千鳥とか、と言っていたので、叔母さんたちが父のCDコレクションから歌を選んで、妹がそれをCDに編集したものをかけた。本人が好きだったというので、「千の風になって」も入れたが、以来わたしの頭の中でこの歌がぐるぐるまわっている。私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません。千の風になって大きな空を吹きわたっています。確かにそういう人だった。

わたしのイギリスの先生は、祖父の日記を発見して、祖父から父の代に至って自分が結婚するまでの自伝を書いてベストセラーになった。それがそんなに売れたのも、やはり人間の人生、ライフ・ストーリーというものに関心の高い、イギリス文化のなせる技なんだろう。自伝はその名もBad Blood(悪い血)と言って、先生は、題名がいいでしょ、とにやにやしていた。その先生も、父と同じ肺の病気で、それからすぐに亡くなってしまった。二人ともヘビー・スモーカーだったのだ。自分の父親が亡くなるというすぐには予想していなかった事態に直面させられて、わたしは先生がなぜそれを書いたか少しわかった気がした。祖父や父親の物語を書くことで、一定の距離感をもって、自分の血筋をなぞることができる。

文学をやるということは、そういうライフ・ストーリーの醍醐味を味わうこと、人間の個性の表現を慈しむことだ。わたしにとってはそれが原点だ。それを表現にしていくことが、何より父への供養になるだろう。

2009年7月16日木曜日

ドアにぶつかりつづけるハエ



『夏の夜の夢』の決定版舞台といえば、あまりにも有名なのが1971年のピーター・ブルック演出のもの。どこかにこの舞台を録画したものがないかと思っているのだが、今のところ見つからず、未見なので何ともいえないけれども、どの映画を見ても決定版という感じのものはなくて、ブルックの舞台がいかにエポック・メーキングだったのかということは、想像がつく。

これについては改めてくわしく論じてみたいが、とにかく頭にひっかかってしょうがないのが、彼がヒポリタとティターニア、テーセウスとオべロンの役を同じ役者で演出してダブル・ヴィジョンの世界を創り出したそのアイディアがどこから出てきたか、という松岡和子氏の質問に答えた、インタビューの一節(『すべての季節のシェイクスピア』)。


――どんな風にこのアイディアが浮かんできたか――いつも答えるのに苦労する問題 です。と言うのは、どんなアイディアであれロジカルなプロセスの結果ではないから です。まず言えるのは、私はある方向に向けて一所懸命あれこれやってみる。それ は、基礎になる下地作りとして絶対に必要なことなのです。

  たとえば、今、夜の真っ暗な部屋に居るところを想像してみて下さい。そして、ドア を見つけなくてはならないという状況。なにしろ墨を流したような闇だから、いきな りこっちへ行って『あ、ここがドアだ!』というわけにはいかない。

  (と、ここでブルックはやおら椅子から立ち上がり、窓辺へ行く。窓だの壁だのを押 しながら――)

  ここを押してみる。こっちを押してみる。ちょうど夏場のハエみたいなものです。何 時間も体当りして、ハエは馬鹿だからね。しかし、ここを押して、こっちを押して、 こっちも、こっちも…とやっていると、突然、ドアが見つかる。こういうことは全て の芸術作品に起こるものです。そこで、これが私のアイディアだ、こっちへ行けばい いんだ、となる。押し続ける、答えはそこにある。だが、どこも押さずにじっと椅子 に坐ったきりでは駄目なのです。

  (ブルックはそう言って、微笑みながらまた腰を下ろした)

  だから、いいアイディアというものはリハーサルの間に浮かんでくるのです。あなた や、彼女や、私から浮かんでくるのではない。みんなで疑問を出し合う。ただし、肝 腎なのは頭を使うということです。」

 ブルックにして馬鹿なハエに自分をなぞらえるとは、とつい思ってしまうが、じつはそのように際限なく体当たりできることこそ、才能の証である。もっとも、頭をフルに使いつつ体当たりをするわけで、足に縄をつけずにバンジー・ジャンプをするわけではない。翻って我が身を省みれば、頭でばかりああでもない、こうでもない、と考えていて、なかなか体当たりもできないことが多い。そうかと思えば、急に体当たりして討ち死に、なんてこともよくあるが。

 それにしても、いいアイディアは「私」だけから浮かんでくるのではない、というのは、身につまされる話である。先日ドイツ語のY先生が、ひとりでコツコツ研究していてもダメで、学生にいろいろ工夫して教えてみたり、人と話したりしていく相互作用の中でやかないとダメだ、というお話をされていた。しごく当たり前のことなのだが、自分が刺激的な研究環境というものを創っていけているのかというと、全く足りていない。

 そういう環境を自分のまわりに創るためにも、ハエのように馬鹿になって、あちこちにぶつかってみるしか、ないんですよね。

2009年7月15日水曜日

実学としての文学とリベラル・アーツ


うちの大学の教養教育、語学教育の目的と目標を詳細かつ具体的に示す、というプロジェクト委員会に、収集される。そこで問題になったのが、「国際社会に対応できる英語をはじめとする外国語によるコミュニケーション能力を養う」という項目。企業が採用する人材に今もっとも求めているのは、このコミュニケーション能力というものらしい。件の項目は、要するに英会話や中国語会話ができる、ということを求めているので、それ以上のことを何か考えているわけではなさそうなのだが、教養外国語を教える教員としては、コミュニケーション力というものは単にTOEICの点数が上がるというようなことで身に付いたとは言えないということを明確にする必要があるのではないか、という話が出たのである。

 そういうコミュニケーション力というものは、語学や、おそらくもっと重要なのは、外国文化について勉強する、そして例えば留学生と交流してみる、といった行為の中で身に付く、ソフトウェアによる部分が大きい。ハードウェア的に語彙力が増えたからといって、その学生のコミュニケーション力が上がるとは、必ずしも言えないのである。そう言えば昨日ある学生が、E-Cubeといううちの大学の英語コミュニティで英会話のチャットをしていると、内容のレヴェルが低いことしか言えずに恥ずかしい、という話をしていて、わたしは、様々な英語力向上の方法についてアドヴァイスしたのち、「そういうことなら、日本語の本をたくさん読みなさい」、と言ったのだった。(写真はE-Cubeで英語でアクティヴィティをしている学生たち)

 そういうソフトウェアというか、人文能力、リベラル・アーツの教養とでもいうものは、マネーの時代にあっては軽視される傾向にある。しかし、企業がコミュニケーション力のある人材を求めているのなら、そういうソフトウェア重視の人間形成教育をこそ、大学はなすべきである。そしてそういう基礎能力を向上させるための教育は、もっといえば、文学をはじめとする人文科学である。活字、映像を問わず、テクストを読み解き、そこに意味、類似点、相違点などを見つけ出して分析したり、問いを立てたりすることができる能力がなければ、それによって自分を見つけたり失ったり立て直したり、また他者理解を深めるという人生学習を深化させることはできない。そのための叩き台として、先人が途方もない経験と知識の集積を、独自の感性をもって表現した文学や映画ほど、相応しいものはない。そういう意味で文学とリベラル・アーツは、まさに実学なのである。

 文学やリベラル・アーツをオファーする立場の大学の教員も、象牙の塔で専門化に走るのではなく、そのような社会に発信する実学的視点を持って、研究と教育に取り組むべきであろう。そのようなものとして「役に立つ」文学や映画の研究と教育のできる環境は、全入時代の今の大学に、何よりも必要なものなのではないだろうか。

2009年7月14日火曜日

仮面舞踏会における欲望の饗宴~バズ・ラーマンの『ロミオとジュリエット』


マイケル・ジャクソンとボトムの変身願望の話で思い出すのは、アロハシャツ姿のディカプリオのロミオが印象的な、バズ・ラーマンの『ロミオ+ジュリエット』における、キャピュレット家の仮面舞踏会の場面。仮面舞踏会は夜の世界であり祝祭だから、各々の人物はいわば昼の世界の束縛からの束の間の自由を享受するのだが、バズ・ラーマンはここで、あたかも各々の人物の無意識を外側に貼りつけているような、斬新な演出をしている。

例えばジュリエットの母は、クレオパトラの仮装をしている。クレオパトラはエジプトの女王で、ローマの戦士アントニーは彼女の魅力に溺れるあまり、国の政治をそっちのけにしてエジプトで愛と饗宴の日々を送る。ロミジュリが思春期の熱愛を描いているとすれば、アントニーとクレオパトラは大人の熱愛を描いている。シェイクスピアがこっちの方も芝居にしているのは言うまでもない。ここには、ジュリエットにパリスと結婚するようにという夫の意向を納得させようとするジュリエットの母が、内心では娘が経験するような激動の恋愛を渇望していたのかもしれないという、遊び/解釈が現れている。

同様に、ちょっとなよっとしたロミオを補足するような、男っぽくて喧嘩っ早いキャラクターということになっているマキューシオは、黒い肌に白いスパンコール・ビキニのセクシーな女装姿で、まさにマイケル・ジャクソンよろしく、歌って踊りまくる。祝祭の空間では性が転倒するというのは、『お気に召すまま』のロザリンドもやっていることだけれど、マッチョな男を一皮めくってみると、過激なゲイ/女装の欲望がむくむくと顔を出したということで、ジェンダーの概念の表と裏を抉っているような、面白い演出である。

ちなみにジュリエットの親が娘を無理やり結婚させようとする相手のパリスは、宇宙飛行士の仮装をしている。現代風ヒーローの装束で、これはロミオが中世の騎士の衣装を着ていることと対立している。そしてジュリエットは、天使の羽をつけている。これはロミオがジュリエットを「僕の天使」、と呼ぶのを、そのまま現しているということもできるが、女性の自己実現の神話といわれている『アモールとプシュケ』のプシュケが、蝶の羽を背中につけていることを思い起こさせもする。ジュリエットはまさにロミオとの恋愛の紆余曲折を経て、思春期の通過儀礼を経験するヒロインだからだ。もっとも彼女の場合通過儀礼は、現世における次の人生段階を導くことなく、その終わりをもたらしてしまうのだけれど。

親の許さぬ恋路を邁進するロミオとジュリエットが、いわば代理保護者のように慕っていろいろと指導を仰ぐ神父は、舞踏会でではなく普通に、背中に巨大な十字架の刺青をしている。バズ・ラーマンはこの他にも、神父がロミオに、若気の至りで「転ぶなよ」と忠告するとき、ディカプリオを文字通りコケさせたり、言外の意味であったものを表に出してみせることをよくやっている。無意識に秘めているはずのものを、あからさまに表出してしまうキャンプな演出によって、バズ・ラーマンはロミオとジュリエットのベタな純愛を、現代の感性に受け入れられるクールな距離感をもって描くことに成功した。

2009年7月13日月曜日

マイケル・ジャクソンとボトム


 『夏の夜の夢』のプロットのポイントのひとつは、通常の昼の世界にあってはパッキリ分れているはずの3つの世界が、森の中に入ってゴチャゴチャに混淆するところにある。そのひとつの世界を担っている職人たちが、貴族の婚礼で『ピラマスとシスビー』の劇を披露するため練習に入るとき、主役のピラマスを割り振られたボトムが、それで足りずにヒロイン役のシスビーもやるぞ、ライオンの役もオレにやらせろ、と大騒ぎをする所がある。

 別の役も全部やりたいって何なんだ、と単にうるさく思っていたこの場面、最近のマイケル・ジャクソンの早逝の報道を見ていたら、急に腑に落ちた。つまりこれは、ボトムが、エネルギーが余っているというのか、自分でないものになりたくて仕方がないことを表現しているということである。

 森で貴族の恋人たちが、妖精たちの魔法のせいで、4つ巴のメチャクチャなドタバタを経験するのは、それによって古いアイデンティティがいったん解体されることが、森を出てから結婚という新しい人生の責任を引き受けるための準備になっている。しかしボトムの場合、魔法によって、古い自我の解体どころか、外側からロバになってしまう。自分以外のものになりたいという念願叶って、というか叶い過ぎて、彼はロバにされてしまった上、妖精の女王ティターニアに束の間愛され、妖精の世界で接待を受けるに至る。普段はきわめて平凡な日常を送っている、一介の職人に過ぎないボトムが、婚礼のための劇を上演することをきっかけに、文字通り夢のような経験をすることになる。彼は森を出て、アテネの平凡な家庭と仕事の日常に帰っていって、そういう夢をみたという想い出が残るだけなのだけれど。

 ロバになってしまったボトムは、マイケル・ジャクソンが過激に持ち続けた、白人になりたい、アイデンティティを自ら解体して、作り直したいという、根源的な変身願望を表象している。ボディ・ビルに励んだ三島由紀夫も、整形マニアのマイケル・ジャクソンと同様の精神構造を持っていたのだろう。ボトムがロバになったのは、恋人たちの経験している自我の混乱を、標識のように現したものということができるが、それはまた彼自身の無意識の欲望が、パックのいたずら、魔法によって、極端な、コミカルな形で表に体現したということでもある。

 ボトムは、世紀の大スターに自分を作り変えたばかりでなく、妖精の魔法ならぬ整形というテクノロジーで皮膚の色まで変えてしまったマイケル・ジャクソンの心性を、コミカルに体現したキャラクターなのだ。今ある「自然な」自分というものを徹底的に、「人工」的な自分に作り変えたいという願望、「自然」な自分というものへの抗い。彼らにとってアイデンティティは劇場だ。いや、誰にとってもそうなのだが、「自然」な自分を殺す願望が尋常でない彼らは、現世に生きていながらその世界を不思議の国にしようとしている。少なくとも、自分を不思議の国のヒーロー、ヒロインに仕立て上げている。

 実際はそうではない、という現実からのプレッシャーにイラつく彼らは、ますます過激な変身の苦行を、身体に与えつづける。魔法の力によってロバになったボトムは、森を出て平凡な元の姿に戻ることができたが、不可逆のテクノロジーを施されたマイケル・ジャクソンの身体には、もう戻れる現世はなかったのである。


2009年7月12日日曜日

日本人はアイデンティティを作ろうとし、イギリス人は壊そうとしている


 昨日は異文化理解教育研究会の合評会。『異文化理解教育』に載ったわたしの論文、「ノンセンスなアイデンティティの万華鏡:モンティ・パイソンのマイケル・ペイリン」を、大東和重先生が取り上げてくださった。専門は中国語・比較文学なのに、わざわざイギリスのユーモア関係の本を読んだり、モンティ・パイソンのヴィデオを買って見てくださっていて、本当にありがたい。左の写真はペイリン。

 その中で取り上げられていた論点のひとつが、モンティ・パイソンのような現実をひっくり返すようなパロディのユーモアは、イギリスのようにきっちりした伝統文化のある社会でこそ成り立つ、というもの。まったくその通りなので、わたしのイギリス好きの一端は、そこにある。つまり、文化が生活にしっかりと根付いているので、芸術が自然体の生活に溶け込んでいる。テレビ番組を見ていても、すごくしっかり作られていて、日本だったらポストモダンなヴァラエティー番組がやたらとあるところに、ドキュメンタリー番組が目白押しだったりして、これがまた、面白いのである。モンティ・パイソンだって、単に伝統的な現実を脱構築しているのではなくて、それに対する、もうひとつの現実を、すごくしっかりと構築している、コメディなのだ。

 それで思い出したのが、先日シェイクスピアの『真夏の夜の夢』についての講義をしたときのこと。アテネから森へ入っていく恋人たちや、ボトムを中心とする職人たちは、森の中でアイデンティティーを撹乱されたり、文字通り変身したりして、人格の変容を経て、アテネに帰って結婚することができる、という話をしたら、日本人はアイデンティティーを作ろうとしているが、イギリス人はアイデンティティーを壊そうとしている、というコメントを書いた学生がいたのだ。

 これには驚いたけれど、鋭い指摘なのかも知れない。日本には、転倒させるに値するような強固な現実やアイデンティティーが、ないのだろうか。現代は境界例の時代だというけれど、日本人はもともと、境界例な国民だったのだ。もちろん日本的な文化というものはあるのだが、それは境界例的な、輪郭の曖昧な、文化だということになるのかも知れない。だいたい、英語に比べて、日本語はきっちりした文法もないわけだし。

 どちらがいいという話でないのは当然だが、この違いについては、深く考えてみる余地がありそうです。


ホワイトアスパラのリゾット

北海道のお店からお取り寄せした、大好きなホワイト・アスパラ。今日はこのホワイト・アスパラで、リゾットを作りました。

レシピは、玉ねぎ半分、にんにく1かけをみじん切り。ホワイトアスパラ200gは下端を切る。上部以外はピーラーで皮をき、5cmくらいの長さにカット。

玉ねぎ、にんにくをExオリーヴオイルで炒め、ホワイトアスパラを入れてさらに炒める。リゾット米80ml分を投入して透き通るまで炒めたら、白ワインを100mlくらい入れる。

バター適量を入れて塩コショウしたら、後はミネラル・ウォーターを少しずつ足しながら、中火で20分くらい木しゃもじでひたすら混ぜる。(本当は熱いのを足すのですが、横着して水を足したので、足すたびに強火に)

ライスがアルデンテの固さになったら、お皿に盛って、パルミジャーノをおろしてたっぷりかける。

写真はパルミジャーノがいっぱいかかっているので、アスパラがあんまり見えないですが(^_^;)

ホワイト・アスパラを煮たスープはとってもおいしいので、ストック要らず。

今日のランチは、リゾットとにんじんりんごジュース。イタリアの有機キャロットジュースと、青森の葉とらずりんごジュース(どちらもストレート)を、半々に割っただけ。にんじんジュースをうちで作るとカスの処理が大変だったのですが、ストレートのキャロットジュースを見つけてから、ケース買いして愛飲しています。

あー、おいしかった(^-^)