2012年6月17日日曜日

ティム・バートンのアリス・イン・ワンダーランドとディズニー帝国の陰謀



ティム・バートンのアリス・イン・ワンダーランドを観る。
アリス好きでバートン・ファンのくせに、何と今まで見損ねていたのである。
アリスのアダプテーションには、私的にはあまりピンとくるものがない。(網羅的に見たわけではまったくないが、1966年イギリスのジョナサン・ミラー版は、好きな方かもしれない。)
夏の夜の夢の映画も同様である。
夢の世界というものは、いざ夢の媒体であるはずの映画にのせようとしても、じつは難しいものらしい。
ティム・バートンならどう料理するのか、と興味津々だったが、あまり芳しい評判も聞かなかったので、どうなったのかと気になっていた。

見てみると、すごい衝撃だった。
原作とは、まるで関係のない話になっていたからである。
ジャバーウォッキーは、鏡の国の逆さまの詩の中に出てくる怪物なのだけれど、何とアリスが、リアルに姿を現したジャバーウォッキーを、退治する話に変ってしまっている。
アリスは銀の鎧に身を包み、動物に乗ってナウシカよろしく、戦場へと突進していくのであった。アリスが、鎧?戦士になって突進???
アリスが19歳で、結婚を申し込まれているという設定からして驚きだったが、彼女がアンダーランドでの冒険を経て、つまり戦士としてジャバーウォッキーを倒して、地上に戻ると、そのプロポーズを拒絶して、ビジネス・トーク(!!!!!)に入り、中国という新世界へと旅立ってしまうのである。
こともあろうにアリスが、帝国主義の担い手たる、ビジネス・ウーマンになってしまったのである。これが驚かずに、いられますか。

名前がキングズリーというのも、気になった。父はチャールズ、つまり『水の子どもたち』を書いたヴィクトリア朝の児童文学者、チャールズ・キングズリーである。
これもアリスを実際の社会に結びつけるための、方策なのだろうか。
キャロルよりキングズリーの方が、児童文学者としても地に足がついているから、ということか。

もちろん、アリス・イン・ワンダーランドという題名といくつかのキャラを「借りている」とはいえ、内容が全く別物になっていたからといって、映画として問題がある、ということは何もない。
この衝撃は、映画に異様な陰謀を感じた、というところから生じている。
キャラクターやプロットの一つ一つが、マーケット・リサーチによって支配されている、という陰謀。
つまり金を儲けることが第一義に置かれて、映画の一つ一つが作られていく世界である。
ハリウッドの黄金時代だってそうでなかったわけではもちろんないが、現代の市場調査技術は、それをさらに精緻なビッグ・ビジネスに押し上げている。
ということは、現代の観客は、こういう映画を見たがっている、ということでもあるのだが。みなさん、面白かったですか、この映画。(つまらなかったと言っているのではないけれど)
どういうマーケット・リサーチによってこんな映画ができてしまったのか、どうすればそれを解明できるのか、アリスを元にこういう映画を作ってしまう現代とはどういう時代なのかと、わたしはマジメに考えている。