2011年1月21日金曜日

柄谷行人『世界史の構造』講演(トークイベント)メモ@近畿大学文芸学部

(ただのメモですが、要望によりアップします。纏めたブログはいずれ書く予定…?)

現在『哲学の起源』という本を執筆中である。半分くらいは書いた。

『災害ユートピア』という本を読んだ。災害というのは、向こうから突然降ってわいてくるもの。頼んでくるわけではない。しかし、そういう事態において、突発的に共同体ができる。利害関係や権力関係のないところに、お互いに自然に助け合うような社会。

昔の人類には守るべき土地がない。どいてしまえば戦争はおきない。バンド。遊動的状態が基本状態。ホッブスなどが言っていることは、「近代」にすぎない。戦争をしていないのに、していると思ってしまう。お互いに脅威だと思ってしまう。
互酬社会
(『世界共和国へ』を書いていたときにはよくわかっていなかったので、あの中の記述は間違っている…)
共同寄託 バンド25人くらい…
passion for distinction オリンピックも同じ。~名誉だけ、何ももらえない。鹿をいくつ捕ったとか…
(渡部直巳先生は完全にpassion for distinctionの人←奥泉)
獲物を俺のものにするのは卑しい。昔の人はみんな取り合い…。手に入ったらみんなで分ける。寛大。

佐藤優との対談。鈴木宗男にモースを読ませたら、俺はモースだった(贈与していた)と言っていたが、それは再分配のことである。それによって権力が持てるから。

互酬原理からネーションができた、という指摘は、すごい発見である(←奥泉)。
ネーションはみんなが平等なわけではない。
国民には、死者もこれからの人も入る。“国のために死んだ”。過去の死者からの贈与(負い目)。返さなきゃならないというのが、ネーションのパッションである。

動物にはヒューマニズムがないですから…

共同体が壊れたところに想像上作り直したのがネーションである。民族基盤ではない。

ノスタルジーというのは自分中心。負けたのに捨てられなかった神はユダヤ教。
負けたのは自分の…というナルシシズム。ではないものを考える!向こうから神が来てしまう…
災害は向こうから来る、途端にユートピアが来る。自分からユートピアを作ろうとしたわけではない。
宗教じゃなくてDのものがあるか?→哲学の起源

イオニア(トルコ)
イソノミア。同等者支配と訳されることがあるが間違っている。これが分かっているのは一人しかいなくてそれはハンナ・アーレント。無支配(no rule)であると言っている。そこでは自由であることが平等になる!

われわれは自由と平等とが相反する世界に生きている。
議会制は自由主義。小泉のは新自由主義で不平等、民主党がでてきて平等に戻そうとする…
自由民主主義で最後だ、世界史はこれで終わったとフランシス・フクヤマは言うが、自分はその形態を超えたものを考えている。

自由と民主との相克
アテネ 市民皆兵 自弁、自分で武器を持つ。→国家の危機。それを民主化しようとしたのがソロンの改革など。市民は奴隷になってはダメ。→デモクラシー。本来の動機は国家的なものである。船の漕ぎ手。奴隷は働かない、アテネ海軍は必死→政治的権利を要求。全員参加~お金をあげる。→もっと戦争で勝て!と騒ぎだす。日比谷焼き打ちデモというのは、賠償金が出なかったとき、大衆が怒って蜂起したもの。
アテネに問題解決のカギを求めてはいけない。カギはイソノミアにある。しかし資料がない…。イオニアの自然学者というは学問でないとバカにされている。
交換様式論を知らないとこう断言できない。
似た例では178世紀アメリカ植民地におけるタウンシップというものがある。ハンナ・アレントが言及しているもの。南部は違う。評議会。西部がある。大土地所有がない。働く人がいない。人のところで働くくらいなら自分のところで働くから。
レーテ(ドイツ)、ソビエト(ロシア)、コミューン(イタリア)
伝統がないのに出てきてしまう~災害があったらできてしまう
タウンシップが(イソノミアに)似ているのはたぶん移民のせいだろう。
ダメなのはアテネ中心主義。よそに行けばいい人を引きとめられない。タウンの連邦形態。
ロシア革命直後2か月くらいはイソノミアだったが…
デマゴーグ 民衆指導者~ネガティヴ
自由→独裁、をみんなが支持。プラトンの哲人政治→現代名は共産党
デモクラシーの議論ではなくイソノミアの議論をしなければならない!!
(島田裕己はイソノミア神社が必要だと言っていた。神主になりたいそう)

アダム・スミス、リカード 資本主義は終わる、それは技術革新が終わるからだと言っている。
マルクス 利潤率の低下。労働生産性を上げるためにロボットを使うと、労働生産性は増大するが、ロボット代がかかる。→資本主義の行き詰まり。自分のところには新しい消費者・労働者がいない。→帝国主義になる。外に向かえばいい…それがグローバリゼーション。日本人はみんな車を持っている。じゃあインドと中国に。次はアフリカ、それでフロンティアは消滅。そして資本主義は終わる。

資本主義でないシステムは今できる。例えば親孝行、介護は資本主義でないシステムである。災害になったら、みんなそういうことをする。準備していないと資本主義が壊滅したときに困るでしょう。

NAMは局所的な運動だったのに、そうでないフリをしたところが間違いだった。

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