2016年10月2日日曜日

カンバーバッチ 『ホーキング』

 
今授業でホーキングばっかりやっている。エディー・レッドメインの『博士と彼女のセオリー』と、別のクラスでカンバーバッチの『ホーキング』。『博士と彼女のセオリー』は文句なく面白く、3度くらいは泣いたが、カンバーバッチの方は、それに比べると地味な始まりだ。しかし最後まで見ると、別の面白さがあって、これはこれで感動的だった。

 『博士と彼女のセオリー』は、最初の妻ジェーンの回想録を基にしているので、基本的には、二人の物語になっている。それで映画としては見やすいわけだが、『ホーキング』は、彼が自分のテーマすなわち自分の人生を見つけるための道のりを描いた映画になっている。そのテーマ/人生に、ジェーンも重要な存在として入ってくる、という感じだ。

 当然ながら、彼の人生/テーマの中軸は、彼の研究対象であるビッグバンであり、映画はそれがよくわかる作りになっている。いや、実際は、何の予備知識もなく1度見て彼の理論が一般的理解としてわかるわけではない。しかしあくまでも一般的理解としてだが、その後に映画ホーキングについての記事を読むくらいで、なるほどと思えるように、映画はできている。

 彼が博士課程の学生だった当時、宇宙論の分野で支配的なのは、定常性理論だった。宇宙は常にそこにあり、あり続けるだろう、というものだ。つまり宇宙には始まりも終わりもない。ホーキングはこの考えが何か違うと感じ、その主導者であるホイルの論文を入手して、計算の誤りを発見し、彼の発表の際にそれを指摘した。この時指導教官に、人の誤りを探していないで自分で独創的な研究をしろ、とたしなめられる場面は、彼のモティベーションを促した出来事として、映画において印象的なところのひとつだ。

 映画ではその後に、ロンドン大のロジャー・ペンローズとの出会いが来る。ペンローズは、星がその生命を終えると、その崩壊は無限に続き、無限に濃密なものとなって、それがブラックホールを形成する、と考えた。ブラックホールの中心にあるものが、特異点だ。ホーキングはペンローズの理論を逆向きに考えることを思いついた。星の始まりはブラックホールだった、というものだ。何かが無に崩壊していくのではなく、無が何かに爆発する、というように。そしてひとつの星ではなく宇宙全体にこの理論を適用したら?ここに彼は博士論文のテーマを見出した。宇宙の始まりはあり、それはビッグバン、大きな爆発だったのだ、と。時間と空間は、ビッグバンによって生まれたのだ。

 そのような大爆発があれば、熱放射があるはずだが、ないではないか、とホーキングは反論された。これを計測で証明したのが、アメリカのペンジアス(ドイツ生まれのユダヤ人)とウィルソンだ。その彼らがノーベル賞を受賞して、インタビューを受けている様子が、映画の中で断続的に挿入される。最初見ていると、これは一体誰なのか、と思うのだが、最後になって、それが生きてくる。彼らによってホーキングの理論の物質的な裏付けが得られたからだ。

 最後の場面で指導教官がホーキングの父親に、彼の業績を説明しているところがある。彼はアインシュタインが予測していたらしいが追求するのをやめたこと、つまり宇宙はいつもそこにあったのではなくて始まりがあったということを証明した、アインシュタインを美しくした(He's made Einstein beautiful)のだ、と。このアインシュタインを美しくした、という説明に、心を掴まれる。

 スティーヴ・ジョブズの家にも、アインシュタインの大きなポスターが貼られていた。アインシュタインといえば、すべての、美しくはあまりない社会の抑圧に屈せず、美しい理論、美しい世界を追求する人々のシンボル的な存在だ。学校の成績だとか、世間のうるさい規則だとか、そういうものより自分の思った道を行く。ALSを発症したという身体的不運も重なって、そして離婚はしたものの、ジェーンという素晴らしい理解者・同伴者を見つけて、彼は自分の理論に邁進した。それは、科学で業績を上げようという世俗の欲望を超えた、美しいものを見上げてそれに向かって人生を進めていく、彼の精神を表している。もちろん実際にずば抜けた知力も伴っていたわけだが。「足元を見るのではなく星を見上げること」「絶対に仕事をあきらめないこと」等々の、ホーキング語録は、このような彼の人間性を語っている。

 エディー・レッドメインや、カンバーバッチといった英国俳優は、こうした意味でホーキングの精神的同類だ。だから彼らはホーキングのようなお茶目な天才を演じてハマり、深い感動を与えることができる。これについてはまた別に書く必要がありそうです。
 
 
 
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿