2009年7月13日月曜日

マイケル・ジャクソンとボトム


 『夏の夜の夢』のプロットのポイントのひとつは、通常の昼の世界にあってはパッキリ分れているはずの3つの世界が、森の中に入ってゴチャゴチャに混淆するところにある。そのひとつの世界を担っている職人たちが、貴族の婚礼で『ピラマスとシスビー』の劇を披露するため練習に入るとき、主役のピラマスを割り振られたボトムが、それで足りずにヒロイン役のシスビーもやるぞ、ライオンの役もオレにやらせろ、と大騒ぎをする所がある。

 別の役も全部やりたいって何なんだ、と単にうるさく思っていたこの場面、最近のマイケル・ジャクソンの早逝の報道を見ていたら、急に腑に落ちた。つまりこれは、ボトムが、エネルギーが余っているというのか、自分でないものになりたくて仕方がないことを表現しているということである。

 森で貴族の恋人たちが、妖精たちの魔法のせいで、4つ巴のメチャクチャなドタバタを経験するのは、それによって古いアイデンティティがいったん解体されることが、森を出てから結婚という新しい人生の責任を引き受けるための準備になっている。しかしボトムの場合、魔法によって、古い自我の解体どころか、外側からロバになってしまう。自分以外のものになりたいという念願叶って、というか叶い過ぎて、彼はロバにされてしまった上、妖精の女王ティターニアに束の間愛され、妖精の世界で接待を受けるに至る。普段はきわめて平凡な日常を送っている、一介の職人に過ぎないボトムが、婚礼のための劇を上演することをきっかけに、文字通り夢のような経験をすることになる。彼は森を出て、アテネの平凡な家庭と仕事の日常に帰っていって、そういう夢をみたという想い出が残るだけなのだけれど。

 ロバになってしまったボトムは、マイケル・ジャクソンが過激に持ち続けた、白人になりたい、アイデンティティを自ら解体して、作り直したいという、根源的な変身願望を表象している。ボディ・ビルに励んだ三島由紀夫も、整形マニアのマイケル・ジャクソンと同様の精神構造を持っていたのだろう。ボトムがロバになったのは、恋人たちの経験している自我の混乱を、標識のように現したものということができるが、それはまた彼自身の無意識の欲望が、パックのいたずら、魔法によって、極端な、コミカルな形で表に体現したということでもある。

 ボトムは、世紀の大スターに自分を作り変えたばかりでなく、妖精の魔法ならぬ整形というテクノロジーで皮膚の色まで変えてしまったマイケル・ジャクソンの心性を、コミカルに体現したキャラクターなのだ。今ある「自然な」自分というものを徹底的に、「人工」的な自分に作り変えたいという願望、「自然」な自分というものへの抗い。彼らにとってアイデンティティは劇場だ。いや、誰にとってもそうなのだが、「自然」な自分を殺す願望が尋常でない彼らは、現世に生きていながらその世界を不思議の国にしようとしている。少なくとも、自分を不思議の国のヒーロー、ヒロインに仕立て上げている。

 実際はそうではない、という現実からのプレッシャーにイラつく彼らは、ますます過激な変身の苦行を、身体に与えつづける。魔法の力によってロバになったボトムは、森を出て平凡な元の姿に戻ることができたが、不可逆のテクノロジーを施されたマイケル・ジャクソンの身体には、もう戻れる現世はなかったのである。


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