2009年7月14日火曜日

仮面舞踏会における欲望の饗宴~バズ・ラーマンの『ロミオとジュリエット』


マイケル・ジャクソンとボトムの変身願望の話で思い出すのは、アロハシャツ姿のディカプリオのロミオが印象的な、バズ・ラーマンの『ロミオ+ジュリエット』における、キャピュレット家の仮面舞踏会の場面。仮面舞踏会は夜の世界であり祝祭だから、各々の人物はいわば昼の世界の束縛からの束の間の自由を享受するのだが、バズ・ラーマンはここで、あたかも各々の人物の無意識を外側に貼りつけているような、斬新な演出をしている。

例えばジュリエットの母は、クレオパトラの仮装をしている。クレオパトラはエジプトの女王で、ローマの戦士アントニーは彼女の魅力に溺れるあまり、国の政治をそっちのけにしてエジプトで愛と饗宴の日々を送る。ロミジュリが思春期の熱愛を描いているとすれば、アントニーとクレオパトラは大人の熱愛を描いている。シェイクスピアがこっちの方も芝居にしているのは言うまでもない。ここには、ジュリエットにパリスと結婚するようにという夫の意向を納得させようとするジュリエットの母が、内心では娘が経験するような激動の恋愛を渇望していたのかもしれないという、遊び/解釈が現れている。

同様に、ちょっとなよっとしたロミオを補足するような、男っぽくて喧嘩っ早いキャラクターということになっているマキューシオは、黒い肌に白いスパンコール・ビキニのセクシーな女装姿で、まさにマイケル・ジャクソンよろしく、歌って踊りまくる。祝祭の空間では性が転倒するというのは、『お気に召すまま』のロザリンドもやっていることだけれど、マッチョな男を一皮めくってみると、過激なゲイ/女装の欲望がむくむくと顔を出したということで、ジェンダーの概念の表と裏を抉っているような、面白い演出である。

ちなみにジュリエットの親が娘を無理やり結婚させようとする相手のパリスは、宇宙飛行士の仮装をしている。現代風ヒーローの装束で、これはロミオが中世の騎士の衣装を着ていることと対立している。そしてジュリエットは、天使の羽をつけている。これはロミオがジュリエットを「僕の天使」、と呼ぶのを、そのまま現しているということもできるが、女性の自己実現の神話といわれている『アモールとプシュケ』のプシュケが、蝶の羽を背中につけていることを思い起こさせもする。ジュリエットはまさにロミオとの恋愛の紆余曲折を経て、思春期の通過儀礼を経験するヒロインだからだ。もっとも彼女の場合通過儀礼は、現世における次の人生段階を導くことなく、その終わりをもたらしてしまうのだけれど。

親の許さぬ恋路を邁進するロミオとジュリエットが、いわば代理保護者のように慕っていろいろと指導を仰ぐ神父は、舞踏会でではなく普通に、背中に巨大な十字架の刺青をしている。バズ・ラーマンはこの他にも、神父がロミオに、若気の至りで「転ぶなよ」と忠告するとき、ディカプリオを文字通りコケさせたり、言外の意味であったものを表に出してみせることをよくやっている。無意識に秘めているはずのものを、あからさまに表出してしまうキャンプな演出によって、バズ・ラーマンはロミオとジュリエットのベタな純愛を、現代の感性に受け入れられるクールな距離感をもって描くことに成功した。

0 件のコメント:

コメントを投稿