

田中 ちはる
...tell Tom, Dick and Harry I rose from the dead.
What's bred in the bone cannot fail me to fly
And Olivet's breezy...



喜劇の題名は一般的名前であり、悲劇の題名は特定の個人の名前であると言ったのは、ベルクソンである。喜劇の題名は例えば『人間嫌い』であり、決して『ハムレット』や『リア王』や『マクベス』にはなり得ない。それは悲劇の主人公が強烈な個性であるのに対し、喜劇の主人公は類型だからである。
それでは『ドレッサー』は、どちらになるのだろう。これはアルバート・フィニー演ずるシェイクスピア劇団の団長であり主演俳優が、『リア王』の公演をする前後の物語だ。彼は「サー(Sir)」としか呼ばれず、固有名がない。サーは日本でいえば勝新太郎か三船敏郎かという「個性」であるけれども、それはシェイクスピア劇団の団長であり主演俳優だったらとりあえずこういう性格だろう、という「類型」でもあるからだ。戦時下のイギリス。劇場は次々に爆破され、若い役者はみな徴兵に取られてしまい、舞台化粧に使うコーンスターチの確保も儘ならない。厳しい戦時下であれば人間の魂にとってますます必要でありながら、当然のごとく芸術は抑圧されている戦時下の時代状況が、時代の推移を体現している上2人の娘の裏切りにあって没落してゆくリア王の状況と、重ね合わされている。映画の前半で舞台を席巻しているのは、こうした状況で錯乱状態にある、老齢のサーであると言っていい。
サーのドレッサー(衣装係)であり、楽屋でサーを風呂に入れ、下着を洗濯し、錯乱して台詞を混同するサーにどの芝居か思い出させてやり、と何から何まで細々と面倒を見ているおカマ言葉のノーマン(トム・コートニイ)は、さしずめリア王の道化である。そういえばリア王の道化は、「道化」であって名前がない。舞台の原作を書き、映画化に際しても自ら脚本を担当したロナルド・ハーウッドが、サーをサーとしか呼んでいないのは、このことを現代に反転させた、達意の仕掛けのように思える。あくまでも主役はドレッサーなのだが、ドレッサーにドレッサーというアイデンティティが生じるのは、あくまでもサーがいるからだ。サーがいなければ、ドレッサーという主体が存在できないのは、リア王と道化の関係と同じである。芝居の最初では舞台に出ることすら危ぶまれたサーは、無事に一世一代の名演をし、若い女優をコーデリアに見立てて両腕で抱きかかえた後、呆気なく息を引き取る。最期は思いのほか静かだった。サーが亡くなると、確かに(映画の)舞台は、急にひっそりしてしまう。最期に遺言のように、観客はさることながら、小道具係、照明係にまで感謝の意を表したサーは、ドレッサーには一言の挨拶もなかった。ノーマンはそのことに憤慨しつつ、これから自分がどうして生きていけばいいのか途方に暮れる。芝居=映画はこうして、何だか尻すぼみに終わる。
『ドレッサー』はあたかも、サーという中心を喪ってもまだ生き続けなければならないノーマンの、日常性の悲劇がこれから始まるというところで、終わっているかのようである。悲劇では主人公が死ぬところが最大のクライマックスであるのだが、この劇=映画ではそこからエンドレスなアンチ・クライマックスが始まるのだ。ヤン・コットが『リア王』をベケットの『勝負の終わり』に準えられたのは有名な話だが、『ドレッサー』はそのような現代における悲/喜劇の性質を、絶妙に捉えている。「ドレッサー」という題名の意味は、そこにある。
ちなみに、アメリカのアマゾンでUS版のDVDを買ったら、日本語字幕がついていました(・。・)



(「異文化理解教育 第2号」のために書いたブック・レヴュー)
「笑い」に纏わる概念を色々と検証していると、それらが様々な時代背景に根差していることに気づく。すなわち、ルネサンス時代は「道化」、18世紀は「諷刺」、19世紀は「ノンセンス」、20世紀は「アブサード(不条理)」だ。厳格な中世の世界システムの下部構造に存在する、じつにのびやかな「自然(フィシス)」の呵呵大笑たる民衆の「祝祭(カーニヴァル)」の笑いを、言語化するという自意識が開花したのは、ルネサンス時代のことである。これら喜劇の様相の変化は、時代において「自然(フィシス)」という言葉の持つ意味作用の変質と、軌を一にしているが、「道化」は近代の曙でありながらまだ中世の尻尾を引き摺っている、ルネサンス時代の寵児である。
バカをやりながらさりげなくご主人様の硬直を笑いの中に指摘するのが、「道化」である。では彼は「賢」なのか「愚」なのか、「狂気」なのか「正気」なのか、悪徳なのか美徳なのか。「道化」の任務は、まさにそのような二者択一的設問の根拠となる枠組をとっぱらうことである、と高橋は言う。「愚者・阿呆・白痴・狂人・職業的道化――これらの意味を未分化のまま孕んだ複合体(コンプレックス)として、「道化」は理解されなくてはならない。その未分化の多義性の中にこそ、本書の主題たるルネサンス文学の「道化」の栄光の秘密があるのではないか。逆にいえば、十七世紀半ば以降、多義性が合理的に整序されたとき、「道化」の栄光は終焉するのではあるまいか…。」
ここでは「道化」の系譜のギリギリ最後の例をあげよう。シェイクスピアの円熟喜劇時代の最後を飾る『十二夜』には、フェステという道化が登場する(彼以降の「道化」はかなり変質した形をとる)。この芝居における彼の最大の標的マルヴォリオは、「こわばり」の極地のマジメ人間で、あらゆる遊び・笑い・ふざけに対して深い敵意を抱き、主人の客の貴族サー・トビーやサー・アンドルーたちの浮かれ騒いだ快楽主義を禁圧しようとする。しかもマルヴォリオは、そのピューリタン的禁欲の外見のかげに、主人オリヴィアへの淫らな欲望を隠している。フェステたちは、マルヴォリオの偽善を暴くべく、悪戯の手紙で嵌めてオリヴィアが彼を恋慕っている、と思い込ませ、それを知らないオリヴィアに対して奇怪な言動を取らせた上で、「狂人」として牢屋に入れてしまう。袋叩きにあわされたマルヴォリオは、「お前たちみんなにいつか仕返しをしてやるぞ」と叫んで退場する。
道化たるフェステは、当時台頭しつつあった反祝祭のピューリタン的タイプのマルヴォリオの「こわばり」を笑いの矢で攻撃するのだが、すでにシェイクスピアはピューリタン革命による祝祭勢力/演劇の粛清を見透かしており、『十二夜』はむしろ喜劇的多義性への挽歌と読める。中世と近代との転換期に生きる道化は、時代の変遷と不可避に進行する認識構造の変化の只中で、古い意味と新しい意味の間のガラスを自在に通過して生き延びる。だが時代が一義的な合理主義的近代へと突入するにつれ、「賢」と「愚」とを併せ呑む多義的存在としての道化は、消滅してゆくのである。
道化は中心に対して対位法的視点を提供し、中心を相対化する働きをもつが、それは逆にいえば中心の存在を前提としている。現代は境界例の時代であって、もはや確固たる中心などどこにも存在しない。人々は究極まで煮詰まった拝金主義によって、空虚な中心を埋めているが、日々生起している有象無象の現象は、その歪みを我々に暴きたてつづける。そのような世の中にあってなお益々功利主義を強め、祝祭的・人文主義的勢力を殺ぎ落とそうとしている一体のマルヴォリオたる現代日本に必要なのは、フェステの哄笑なのではないだろうか。では現代における変質した形での「道化」とは、どのような形をとって現れ得るのか。
先々週の金曜、容態が急激に悪化した父の見舞で実家に戻ったら、見舞どころか彼岸への見送りになってしまった。元々肺が悪かったのが、癌の放射線治療の副作用で、間質性肺炎急性増悪という病気になり、文字通り急に増悪したと思ったら、日曜の朝にはもういなくなってしまったのだった。何だか実感が湧かなくて、と母は言ったが、わたしもまったく同じ気持ちである。わたしは大学院を1つ出るまではずっと実家に住んでいたが、その後はイギリスへ行ったり関西に行ったりなので、パパも同じようにどこかへ行ったと思えばいいのよ、と言うと、母も納得していたようだった。もうこっちへは帰って来ないけど。
通夜の前の晩、葬儀を取り仕切ってくれた叔父が、酔って家系図を書きはじめた。父もなかなか大変な人だったのだが、それは亡くなるまでうちに同居していた、祖父の血筋であるらしい。祖父の父はチャキチャキの江戸っ子の神田の鮨職人だったそうで、それでおじいちゃんは浅草が好きだったのね、と母が言う。祖父は電電公社の技師で、父とその姉は神戸生まれ、その下は朝鮮生まれなのだが、北海道にもいたことがあるらしい。それから満州鉄道の仕事でハルピンへ行ってそこで終戦を迎え、末娘は日本に帰る途中で亡くなった。アメ車の輸入会社を設立した祖父の兄が居を構えていた近所に越して、以来実家はずっとそこにある。途中のいつだか知らないけれど、祖父は彫刻の修行もしていた。わたしの知っている晩年の祖父の後姿は、象牙の彫刻家のものだった。
父は銀行員を脱サラして、スポーツ用品店を立ち上げた。わたしはいつも、夜遅くまでやっている店でうろちょろしながら、店員のお兄ちゃんやお姉ちゃんに一緒に遊んでもらっていた。週末はリトルリーグの監督で出ている父は家にはほとんどいなくて、家族水入らずなんてこともなく、正月は小さいわたしも、一緒にスキークラブのツアーに行った。子供のころスキーを教わったクラブのコーチたちが葬儀に来てくださり、「ちーちゃん?」と挨拶されて、懐かしかった。父は順風満帆の高度成長期の大波に乗るようにしてアメリカへ視察に行き、そこで得たアイディアを元にしてリトルリーグのシューズを特注して、それを目玉商品とする商事会社を作った。シューズは結構人気だったらしいのだが、安い金属バットを大量に仕入れたらすぐに金属バットが公式の試合で禁止になり、商事会社はそのうちに閉めた。区議会議員立候補の話がきたときには、家族で懇願してようやくやめさせた。その代わりに何かしたくてしょうがなかったらしく、人が集まってくるのが好きだった父は、ついにレストランまで始めてしまい、堅実な母は悲鳴を上げていた。以前マイケル・ジャクソンとボトムの話を書いたけれど、こう書くと、エネルギーが有り余っていろいろとせずにはいられないのは、父も同様だったようだ。
父は新しいPCを昨年の暮れごろかに買ったばかりで、長年使っていた古いWindows98がまだ残っていて、それを処分するためわたしは古いデータの整理をした。ハルピン会、日大二高、銀行の同窓会等々では軒並み幹事役を務め、ゴルフ会、うたごえの会からアコーディオンを持っての老人ホームのボランティアまで、晩年になってもあちこち人の世話ばかりしていた人で、ファイルの整理をしているとその活動の様子が脳裏に浮かんだ。終わったばかりの記念すべきゴルフ会の第100回コンペには、病魔に犯されて出席することができず、すでに意識の薄くなった父に、叔父がその写真を見せていた。そのときは、なぜ父の写っていない写真を見せるのか不思議だったが、それは父が楽しみにしていた100回記念の報告だったのだ。自ら波乱万丈の人生と題した、ハルピン会の文集の原稿もあった。出方はかなり違っているけれど、やはり自分はこの血統を継いでいるのだな、としみじみ感じた。
歌詞を自らタイプして印刷製本したうたごえの会の本の表紙には、おもちゃのアコーディオンを持った木の人形の写真をカラー印刷したものが、無造作に貼ってある。病室で父が、俺の葬式には静かな小学唱歌をかけてくれ、浜千鳥とか、と言っていたので、叔母さんたちが父のCDコレクションから歌を選んで、妹がそれをCDに編集したものをかけた。本人が好きだったというので、「千の風になって」も入れたが、以来わたしの頭の中でこの歌がぐるぐるまわっている。私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません。千の風になって大きな空を吹きわたっています。確かにそういう人だった。
わたしのイギリスの先生は、祖父の日記を発見して、祖父から父の代に至って自分が結婚するまでの自伝を書いてベストセラーになった。それがそんなに売れたのも、やはり人間の人生、ライフ・ストーリーというものに関心の高い、イギリス文化のなせる技なんだろう。自伝はその名もBad Blood(悪い血)と言って、先生は、題名がいいでしょ、とにやにやしていた。その先生も、父と同じ肺の病気で、それからすぐに亡くなってしまった。二人ともヘビー・スモーカーだったのだ。自分の父親が亡くなるというすぐには予想していなかった事態に直面させられて、わたしは先生がなぜそれを書いたか少しわかった気がした。祖父や父親の物語を書くことで、一定の距離感をもって、自分の血筋をなぞることができる。
文学をやるということは、そういうライフ・ストーリーの醍醐味を味わうこと、人間の個性の表現を慈しむことだ。わたしにとってはそれが原点だ。それを表現にしていくことが、何より父への供養になるだろう。

『夏の夜の夢』の決定版舞台といえば、あまりにも有名なのが1971年のピーター・ブルック演出のもの。どこかにこの舞台を録画したものがないかと思っているのだが、今のところ見つからず、未見なので何ともいえないけれども、どの映画を見ても決定版という感じのものはなくて、ブルックの舞台がいかにエポック・メーキングだったのかということは、想像がつく。
これについては改めてくわしく論じてみたいが、とにかく頭にひっかかってしょうがないのが、彼がヒポリタとティターニア、テーセウスとオべロンの役を同じ役者で演出してダブル・ヴィジョンの世界を創り出したそのアイディアがどこから出てきたか、という松岡和子氏の質問に答えた、インタビューの一節(『すべての季節のシェイクスピア』)。
「 ――どんな風にこのアイディアが浮かんできたか――いつも答えるのに苦労する問題 です。と言うのは、どんなアイディアであれロジカルなプロセスの結果ではないから です。まず言えるのは、私はある方向に向けて一所懸命あれこれやってみる。それ は、基礎になる下地作りとして絶対に必要なことなのです。
たとえば、今、夜の真っ暗な部屋に居るところを想像してみて下さい。そして、ドア を見つけなくてはならないという状況。なにしろ墨を流したような闇だから、いきな りこっちへ行って『あ、ここがドアだ!』というわけにはいかない。
(と、ここでブルックはやおら椅子から立ち上がり、窓辺へ行く。窓だの壁だのを押 しながら――)
ここを押してみる。こっちを押してみる。ちょうど夏場のハエみたいなものです。何 時間も体当りして、ハエは馬鹿だからね。しかし、ここを押して、こっちを押して、 こっちも、こっちも…とやっていると、突然、ドアが見つかる。こういうことは全て の芸術作品に起こるものです。そこで、これが私のアイディアだ、こっちへ行けばい いんだ、となる。押し続ける、答えはそこにある。だが、どこも押さずにじっと椅子 に坐ったきりでは駄目なのです。
(ブルックはそう言って、微笑みながらまた腰を下ろした)
だから、いいアイディアというものはリハーサルの間に浮かんでくるのです。あなた や、彼女や、私から浮かんでくるのではない。みんなで疑問を出し合う。ただし、肝 腎なのは頭を使うということです。」
ブルックにして馬鹿なハエに自分をなぞらえるとは、とつい思ってしまうが、じつはそのように際限なく体当たりできることこそ、才能の証である。もっとも、頭をフルに使いつつ体当たりをするわけで、足に縄をつけずにバンジー・ジャンプをするわけではない。翻って我が身を省みれば、頭でばかりああでもない、こうでもない、と考えていて、なかなか体当たりもできないことが多い。そうかと思えば、急に体当たりして討ち死に、なんてこともよくあるが。
それにしても、いいアイディアは「私」だけから浮かんでくるのではない、というのは、身につまされる話である。先日ドイツ語のY先生が、ひとりでコツコツ研究していてもダメで、学生にいろいろ工夫して教えてみたり、人と話したりしていく相互作用の中でやかないとダメだ、というお話をされていた。しごく当たり前のことなのだが、自分が刺激的な研究環境というものを創っていけているのかというと、全く足りていない。
そういう環境を自分のまわりに創るためにも、ハエのように馬鹿になって、あちこちにぶつかってみるしか、ないんですよね。

マイケル・ジャクソンとボトムの変身願望の話で思い出すのは、アロハシャツ姿のディカプリオのロミオが印象的な、バズ・ラーマンの『ロミオ+ジュリエット』における、キャピュレット家の仮面舞踏会の場面。仮面舞踏会は夜の世界であり祝祭だから、各々の人物はいわば昼の世界の束縛からの束の間の自由を享受するのだが、バズ・ラーマンはここで、あたかも各々の人物の無意識を外側に貼りつけているような、斬新な演出をしている。
例えばジュリエットの母は、クレオパトラの仮装をしている。クレオパトラはエジプトの女王で、ローマの戦士アントニーは彼女の魅力に溺れるあまり、国の政治をそっちのけにしてエジプトで愛と饗宴の日々を送る。ロミジュリが思春期の熱愛を描いているとすれば、アントニーとクレオパトラは大人の熱愛を描いている。シェイクスピアがこっちの方も芝居にしているのは言うまでもない。ここには、ジュリエットにパリスと結婚するようにという夫の意向を納得させようとするジュリエットの母が、内心では娘が経験するような激動の恋愛を渇望していたのかもしれないという、遊び/解釈が現れている。
同様に、ちょっとなよっとしたロミオを補足するような、男っぽくて喧嘩っ早いキャラクターということになっているマキューシオは、黒い肌に白いスパンコール・ビキニのセクシーな女装姿で、まさにマイケル・ジャクソンよろしく、歌って踊りまくる。祝祭の空間では性が転倒するというのは、『お気に召すまま』のロザリンドもやっていることだけれど、マッチョな男を一皮めくってみると、過激なゲイ/女装の欲望がむくむくと顔を出したということで、ジェンダーの概念の表と裏を抉っているような、面白い演出である。
ちなみにジュリエットの親が娘を無理やり結婚させようとする相手のパリスは、宇宙飛行士の仮装をしている。現代風ヒーローの装束で、これはロミオが中世の騎士の衣装を着ていることと対立している。そしてジュリエットは、天使の羽をつけている。これはロミオがジュリエットを「僕の天使」、と呼ぶのを、そのまま現しているということもできるが、女性の自己実現の神話といわれている『アモールとプシュケ』のプシュケが、蝶の羽を背中につけていることを思い起こさせもする。ジュリエットはまさにロミオとの恋愛の紆余曲折を経て、思春期の通過儀礼を経験するヒロインだからだ。もっとも彼女の場合通過儀礼は、現世における次の人生段階を導くことなく、その終わりをもたらしてしまうのだけれど。
親の許さぬ恋路を邁進するロミオとジュリエットが、いわば代理保護者のように慕っていろいろと指導を仰ぐ神父は、舞踏会でではなく普通に、背中に巨大な十字架の刺青をしている。バズ・ラーマンはこの他にも、神父がロミオに、若気の至りで「転ぶなよ」と忠告するとき、ディカプリオを文字通りコケさせたり、言外の意味であったものを表に出してみせることをよくやっている。無意識に秘めているはずのものを、あからさまに表出してしまうキャンプな演出によって、バズ・ラーマンはロミオとジュリエットのベタな純愛を、現代の感性に受け入れられるクールな距離感をもって描くことに成功した。

『夏の夜の夢』のプロットのポイントのひとつは、通常の昼の世界にあってはパッキリ分れているはずの3つの世界が、森の中に入ってゴチャゴチャに混淆するところにある。そのひとつの世界を担っている職人たちが、貴族の婚礼で『ピラマスとシスビー』の劇を披露するため練習に入るとき、主役のピラマスを割り振られたボトムが、それで足りずにヒロイン役のシスビーもやるぞ、ライオンの役もオレにやらせろ、と大騒ぎをする所がある。
別の役も全部やりたいって何なんだ、と単にうるさく思っていたこの場面、最近のマイケル・ジャクソンの早逝の報道を見ていたら、急に腑に落ちた。つまりこれは、ボトムが、エネルギーが余っているというのか、自分でないものになりたくて仕方がないことを表現しているということである。
森で貴族の恋人たちが、妖精たちの魔法のせいで、4つ巴のメチャクチャなドタバタを経験するのは、それによって古いアイデンティティがいったん解体されることが、森を出てから結婚という新しい人生の責任を引き受けるための準備になっている。しかしボトムの場合、魔法によって、古い自我の解体どころか、外側からロバになってしまう。自分以外のものになりたいという念願叶って、というか叶い過ぎて、彼はロバにされてしまった上、妖精の女王ティターニアに束の間愛され、妖精の世界で接待を受けるに至る。普段はきわめて平凡な日常を送っている、一介の職人に過ぎないボトムが、婚礼のための劇を上演することをきっかけに、文字通り夢のような経験をすることになる。彼は森を出て、アテネの平凡な家庭と仕事の日常に帰っていって、そういう夢をみたという想い出が残るだけなのだけれど。
ロバになってしまったボトムは、マイケル・ジャクソンが過激に持ち続けた、白人になりたい、アイデンティティを自ら解体して、作り直したいという、根源的な変身願望を表象している。ボディ・ビルに励んだ三島由紀夫も、整形マニアのマイケル・ジャクソンと同様の精神構造を持っていたのだろう。ボトムがロバになったのは、恋人たちの経験している自我の混乱を、標識のように現したものということができるが、それはまた彼自身の無意識の欲望が、パックのいたずら、魔法によって、極端な、コミカルな形で表に体現したということでもある。
ボトムは、世紀の大スターに自分を作り変えたばかりでなく、妖精の魔法ならぬ整形というテクノロジーで皮膚の色まで変えてしまったマイケル・ジャクソンの心性を、コミカルに体現したキャラクターなのだ。今ある「自然な」自分というものを徹底的に、「人工」的な自分に作り変えたいという願望、「自然」な自分というものへの抗い。彼らにとってアイデンティティは劇場だ。いや、誰にとってもそうなのだが、「自然」な自分を殺す願望が尋常でない彼らは、現世に生きていながらその世界を不思議の国にしようとしている。少なくとも、自分を不思議の国のヒーロー、ヒロインに仕立て上げている。
実際はそうではない、という現実からのプレッシャーにイラつく彼らは、ますます過激な変身の苦行を、身体に与えつづける。魔法の力によってロバになったボトムは、森を出て平凡な元の姿に戻ることができたが、不可逆のテクノロジーを施されたマイケル・ジャクソンの身体には、もう戻れる現世はなかったのである。

昨日は異文化理解教育研究会の合評会。『異文化理解教育』に載ったわたしの論文、「ノンセンスなアイデンティティの万華鏡:モンティ・パイソンのマイケル・ペイリン」を、大東和重先生が取り上げてくださった。専門は中国語・比較文学なのに、わざわざイギリスのユーモア関係の本を読んだり、モンティ・パイソンのヴィデオを買って見てくださっていて、本当にありがたい。左の写真はペイリン。
その中で取り上げられていた論点のひとつが、モンティ・パイソンのような現実をひっくり返すようなパロディのユーモアは、イギリスのようにきっちりした伝統文化のある社会でこそ成り立つ、というもの。まったくその通りなので、わたしのイギリス好きの一端は、そこにある。つまり、文化が生活にしっかりと根付いているので、芸術が自然体の生活に溶け込んでいる。テレビ番組を見ていても、すごくしっかり作られていて、日本だったらポストモダンなヴァラエティー番組がやたらとあるところに、ドキュメンタリー番組が目白押しだったりして、これがまた、面白いのである。モンティ・パイソンだって、単に伝統的な現実を脱構築しているのではなくて、それに対する、もうひとつの現実を、すごくしっかりと構築している、コメディなのだ。
それで思い出したのが、先日シェイクスピアの『真夏の夜の夢』についての講義をしたときのこと。アテネから森へ入っていく恋人たちや、ボトムを中心とする職人たちは、森の中でアイデンティティーを撹乱されたり、文字通り変身したりして、人格の変容を経て、アテネに帰って結婚することができる、という話をしたら、日本人はアイデンティティーを作ろうとしているが、イギリス人はアイデンティティーを壊そうとしている、というコメントを書いた学生がいたのだ。
これには驚いたけれど、鋭い指摘なのかも知れない。日本には、転倒させるに値するような強固な現実やアイデンティティーが、ないのだろうか。現代は境界例の時代だというけれど、日本人はもともと、境界例な国民だったのだ。もちろん日本的な文化というものはあるのだが、それは境界例的な、輪郭の曖昧な、文化だということになるのかも知れない。だいたい、英語に比べて、日本語はきっちりした文法もないわけだし。
どちらがいいという話でないのは当然だが、この違いについては、深く考えてみる余地がありそうです。

北海道のお店からお取り寄せした、大好きなホワイト・アスパラ。今日はこのホワイト・アスパラで、リゾットを作りました。
レシピは、玉ねぎ半分、にんにく1かけをみじん切り。ホワイトアスパラ200gは下端を切る。上部以外はピーラーで皮をき、5cmくらいの長さにカット。
玉ねぎ、にんにくをExオリーヴオイルで炒め、ホワイトアスパラを入れてさらに炒める。リゾット米80ml分を投入して透き通るまで炒めたら、白ワインを100mlくらい入れる。
バター適量を入れて塩コショウしたら、後はミネラル・ウォーターを少しずつ足しながら、中火で20分くらい木しゃもじでひたすら混ぜる。(本当は熱いのを足すのですが、横着して水を足したので、足すたびに強火に)
ライスがアルデンテの固さになったら、お皿に盛って、パルミジャーノをおろしてたっぷりかける。
写真はパルミジャーノがいっぱいかかっているので、アスパラがあんまり見えないですが(^_^;)
ホワイト・アスパラを煮たスープはとってもおいしいので、ストック要らず。
今日のランチは、リゾットとにんじんりんごジュース。イタリアの有機キャロットジュースと、青森の葉とらずりんごジュース(どちらもストレート)を、半々に割っただけ。にんじんジュースをうちで作るとカスの処理が大変だったのですが、ストレートのキャロットジュースを見つけてから、ケース買いして愛飲しています。
あー、おいしかった(^-^)